私の人生のそばにあったもの。

バッハ 前奏曲ハ長調 BWV 846 LANG LANG

今、あなたが音楽が聴ける環境にあるのなら、この美しい曲を聴きながら、癒されてくれたら嬉しい。

ピアノの「旧約聖書」とも言われるほど鍵盤楽器奏者にとって重要なバッハによる作品集の第1曲です。

流れるような曲を聴きながら、私の駄文をお読みください。

私が物心ついた頃から、いつもそばにはピアノの存在がありました。

明治生まれの祖母がまだ生きていた頃、家でのピアノの指導はいつも祖母がしてくれていました。

祖母は山口県の有名な女学校で、外国人の先生にピアノを習っていました。そのためか、ピアノは90歳近くまで楽譜なしで弾いていました。

私にはそれがなんの曲なのかわからなかったし、祖母に聞いたとしても、おそらく祖母も曲名も何かもわからないままに、弾いていたかもしれません。

そんな祖母が亡くなり、私も実家を出て、誰も触ることのなくなったピアノは、両親が家を引き払うこととなったと同時に、ピアノも売りに出されました。

私はとてもショックだったのを覚えています。でも祖母がいなくなって、ピアノを弾けるのが唯一私でしたので、家に居なくなった私には誰を責めることはできませんでした。

現在(いま)大事なピアノは、美しい音色とともにそばにいます。

多くの美しい曲を新たに教えてくれたあなたに感謝して。

Congratulations,Lang Lang.

ちょうどラン・ランのゴルドベルグを聴いていたら、このTweetが❤️

おめでとう、ラン・ラン🎉

上海のラン・ランミュージックワールドも完成して、おめでた続き。今後の活躍も楽しみです。

理想(溺愛)のピアニストについて。(お題3)

私は、クラシックについて詳しいわけではない。題名のように「ピアニストについて」だなんて、偉そうに語れたものではない。

けれども、今回お題を頂戴しましたので書きます。

ピアニストについての前に、自分について語ってしまうと、見た目は、ぽわ〜っとしている私だが、結構「内側」は「情熱的」なものが好きだったりする。自分を「情熱的」というのは恥ずかしいのでこのような言い方をした。

私はYouTubeでラン・ランを観たとき、ものすごい勢いで引き込まれた。

ラン・ランははっきり言ってしまえば、溺愛のピアニストだ。

芸術というものは、何一つ正しいだとか、間違っているだとか、そんなものはないと思っている。

多くのピアニストを知らないから、ラン・ランなのか。といったらそれは違うと思う。

たとえば、カラヤンしか知らなくても、カラヤンの何かに引き込まれたのなら、それはカラヤンしか知らないからだ。と誰もその人を責めることはできないはずだ。

ラン・ランの話に戻すと、彼の情熱たるラフマニノフは私の心を刺した。

カラカラなる鐘のような高音は、心の中をなぜか掻きむしる。

そう、ラン・ランのピアノは私の心を掻きむしるのだ。

激しい曲ばかりではない。美しくかつ弱々しく弾く部分も彼の曲への想いがどうしても私の心に何かを残す。

彼のピアノの音なのか。彼の人間性なのか。

それが「理想」というものじゃないのか。

私はラン・ランが一番といっているわけではない。

私の中の「理想」それがラン・ランで一番なのだ。

彼は、テクニックだけでなく、表現において最高のピアニストそしてパフォーマーだと思う。

紫陽花に見た希望。

雨上がりに撮った紫陽花。やっぱり紫陽花は雨によく映えます。

3、4、5月半ばまでは、とても調子が良かったみたいですが、また下降気味です。

さて、少しでも上向きにしたくて、またLang Langの貴重とも言うべきCDと楽譜付きCDを購入してしまいました。

BOXに入った楽譜とCD

30年のブランクを埋めるために簡単な曲から練習していますが、大人になって分かったことは、どんなに簡単と思っていた曲も実は簡単ではなく、奥が深いんだなと思ったのです。

だから、エリーゼのためにという曲も、子供の頃、嫌になるほど弾いていたけれど、弾き方ひとつで変わってしまう、当たり前だけど凄い曲なんだなあと、思いました。

だから今はピアノを弾いていてとても楽しいです。

いま練習しているのは、バッハのメヌエットです。とてもいい曲。

体はだるいけど、ピアノを少し弾いている間は楽になる。

Lang LangのCDにも入っている曲なので、何としてもこの曲は弾けるようにしたいです。

笑顔のLangLangから学んだ「学ぶことは楽しむこと」。

今回は、私の告白でもあります。世界中のファンの中の一人である私の告白です。障害を克服して、できることならLang Lang を取材したいのです。

とにかくこの動画を見て、一気にファンになりました。とはいうものの、初めてこのLangLangを見て、ノリ軽そうだな〜と思ったのも事実でした。笑

もちろん実際はそんなことないと思いますが。

でも、彼の特徴として、楽しそうに弾く、時折笑顔を見せる姿はいいですよね。

おそらくこの演奏を見ていなければ、私は、ピアノを弾いていたとはいえ、また弾きたいと思ったりはしなかったと思います。そしてLang Langのファンになることもなかったでしょう。

彼の魅力が私の中でどうあるのか、自分ですらわかっていません。

この公演は2014年5月28日にミラノで行われたものとあります。

私はといえば、この頃また別に夢中になっていたことがあったので、好きなクラシックからも遠ざかっていました。

今回、一度だけ、私が障害を負っていることを書こうと思います。

私は隠すつもりはなかったのですが、このブログでは自分の障害に関して書くのはよそうと思っていました。

なので書くのは今回でおそらくやめにしておきたいと思っています。

私は、双極性障害を患っています。躁鬱病とも言われています。上がり下がりが激しいのですが、今は薬のおかげでだいぶ治まってきています。

と、私の話はそのくらいで、こう言った障害を乗り越え、私はいつか、Lang Langに取材するのが夢です。そんな日が来るまでしなければならないことはいっぱいあります。英語が話せるようにならなければならないし、音楽の勉強をして、ある程度理解しておきたいし。

でも、夢は大きく持とうと思う。いまは叶えられる自信なんて正直ない。でも、「期待」じゃなくて「願い」かけたい。願いをかけるためには、多くの困難が待っていると思う。でもこの人の笑顔を見ていると、「ああ、なんだか笑顔を見せることでうまくいくこともあるのかな」と思わせてくれる。

このブログも続けていきたいし。

「学ぶことは喜び」です。

私は自分を取り巻くことを”楽しみながら”頑張りたいのです。

落ち込むことで得ること。

落ち込むことって、どんな方にもあるかと思います。

私はしょっちゅうなので、本当のことを言えば、「落ち込んだ時の対処法」は私が教えて欲しいと思うくらいなのです。

周囲もわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。アピールする必要もないのですが。

たとえば、私の場合一度落ち込むと、今度は上がるしかないのですが、この「上がる」が注意で、とんでもないくらいに上がってしまうのです。上がれば急激に下がる。なのでほどほどが必要になります。

私の例で申し訳ないのですが、

私はピアノが好きなので、と言っても現在どれだけ弾けるわけでもなく、大人になってからブランクを埋めるため、もっぱら簡単な曲を苦戦して弾いています。

大人になってからピアノに親しむために、もちろん弾けることに越したことはないのですが、ちょっと違う角度からピアノを見てみようと思いました。

そこで、私が思いついたのはやはり文章を書く事でしたので、まず本を読み、ピアノに関しての研究を少ししてみようかなという事でした。

さっそく銀座にある山野楽器(楽譜や楽器、そして音楽にまつわる本も豊富にあります)へ行き、本をまとめて数冊書いました。

曲または楽譜にとらわれる事なく、違う角度から何かを見ることは新鮮だし、新しいことを知るのはワクワクします。

ということで、この「好き」がとても大事になってくると思います。

常日頃「好き」を増やしておくのもいいかもしれません。

私が最近気づいたのは、

落ち込むことは「何かの起爆剤になる」

ということです。そこから、また新たな何かを発見し、始められるかもしれません。

これは私の例でピアノについて書きましたが、どんなことにも当てはまりそうな気がします。

常に新しいことに挑戦してみることって、いくつになっても自分を成長させてくれるとても楽しいことかもしれないし、落ち込んでも、

「自分はまだまだやれる」

と気づかせてくれるんですよね。

おこがましいですが、少しでも誰かの気持ちが晴れれば嬉しいです。