優雅な生活、それは自由で孤独。

3年近く六本木に住んだことがあるのですが、住んでみたいと思いますか?

大抵の人は「六本木なんて住む場所じゃない」と言うし、もしくは「住みたくなんかない」と思うでしょう。

実際によく言われたし、私自身今になってみるとなんで六本木だったのだろう?って思います。

でも、その頃の私は「あるものを得るために」六本木に住み必死に働きました。贅沢するためではなかったです。

体がボロボロになるまで一生懸命働きました。それが私にとっての「自由」であり、「あるもの」とは私が一番望んでいた「自立」だったのです。

優雅な生活だったかもしれません。あくまで私にとってはです。「自由」に街を闊歩していたのもありますが、それが出来たのは、生きることに一生懸命だったからかもしれません。

「生活」するために、我を忘れ一生懸命に働くこと、それが自由で優雅だったのです。

時間を持て余し、ぬるま湯に浸かっている生活は私にとって決して自由でも優雅でもなく、悍ましいだけのような気がしてなりません。

そう思う自分に疲れることもあります。

なぜそこまで酷使するのか。今の幸せで十分じゃないか。と思われるかもしれませんね。

そうです。幸せって、自分の周りに常日頃あることだったり感じたりすることかと思います。

自分が働いたお金で食べること、ベッドで安心して眠ること、それができる私はなんて幸せなのだろう!そう思っていました。ただそんな単純なことを望んでいただけだったのです。

当たり前の日常が、私には輝かしく思えてなりませんでした。

でもそんな輝かしい「自由」な生活と引き換えに私は孤独になりました。喧騒の中、私は孤独と向き合い恐怖に怯えた日々を思い出します。

その頃味わった「自立した生活」は幸せではなかったのだろうか。今でも考えるのです。

私は、過去の栄光ではなく、あの日必死に働き手に入れた幸せを忘れられずにいます。いまだに「生きるとは」「自由とは」、考えるのです。

もう時間は刻々と過ぎていくばかり。

ただこれだけは言えるかな?余計なことを手放して生きていく。経験はいつか何かしら実になると。

私はまた、チャレンジャーとなり道を歩いていきたい。人生ギャンブル。笑

今、私は自由なのだろうか……。それも余計な考えですね。ひたすら前を見て感謝の心を忘れずに生きたいです。

あなたにとっての「幸せ」ってなんでしょうか。

恋愛体質。

私はおそらく恋愛体質である。

ただ、これはあくまで「自分の心の内」。だから他人に誤解されるのが一番怖い。要はかまってちゃんなところがあって、ついいろんな人にいい顔をしてしまう。しょうもない寂しがり屋。

気分をアップダウンさせる、危険な特性でもある。特に私のような躁うつのある人間には危ない。でも、いま自身は意外に俯瞰できている。

今年に入り切り替える努力をはじめた。

でも、それって悪いことなのか。いや悪くはないはず。後悔さえしなければ。前向きにひたむきに思いやる心があれば。

そして大事なこと。

誰かを思うこと、それは自分を大切に出来るかどうかということ。

私はそこのところをいい加減にして生きてきてしまったように感じる。相手の悪い「気」をすべて自分の中に押し込んで自分を殺していた。

いったいどれだけの「気」を仕舞い込んできたのだろう。

ちょっと暗い話になってしまったけれど、自分を大切に出来ない人は他人を大切になんて出来なくて、今の私は、心を、身体を浄化させたいと思う。

そして、それから誰かの幸せを祈りたい。

女の生きる道。

私が学生の頃、秘書科に在籍していて卒論みたいなものに「女性の生き方」だったかな、確かそれについて書いた記憶があった。

私は当時、森瑤子さんのエッセイや小説が好きで、それを元に女の生き方を書いたと思う。そんなかっこいい大人の人生を憧れていた。

20代で結婚、私には子供がなく、それがつらかった時期もあった。子供が欲しいと真剣に考えた事はあるが、その頃から私は精神的に不安定になっていった。

自分のことで精一杯になっていき、子供のことなど考えられなくなってしまっていた。それが20代半ばから後半くらいの話だ。

それからというもの、私はだんだんと外側に救いを求めるようになっていった。30代に入ってからだった。

このような話をするといろいろ誤解されるのを覚悟だが、私は常に誰かを好き、もしくは大切な人として心に存在させていった。

ひとりの人しか愛せない、とかそのようなことはなく、その人の良さ、を大切にしていた。私はいつもそんなことを考える、女という前にひとりの人間になっていた。

私にとって30代とは、苦しかったけれども、私の人生のなかでなくてはならない重要な年月になった。

まず生きるためにお金を作ることから始め、過労のために生きるか死ぬかの瀬戸際まで行ったことがあったり、何週間も病院で点滴を打ち寝たきりになる辛さはもう懲り懲りだった。

だから私は「コロナが恐怖」というのはある。あの苦しみは味わったことのある人にしかわからない。

でも何より怖かったのは「孤独」だった。孤独であることは本当につらかった。

カーネーション。そういえば母の日だ

重い話になってきたので、30代の大体の話はこの辺にしておくが、私にとっては、決して後悔していないのがこの30代だったかもしれない。

でも、またピアノの話になるが、この頃にピアノをまた再開しておけばよかった、と今になって思うことは多々ある。

そんな30代が過ぎ、40代前半は家族と楽しく過ごす時間が過ぎていった。楽しかった。父親との確執があった私は、父が認知症になり、私を頼りにするようになった父を見て、父への思いは完全に変わっていった。

40代はあっという間のような気がする。私の病気を治すため、日々通った病院。自分を取り戻して行くかのようだった。

今現在、私はやりたいことがいっぱいでき、ある意味充実した日々を送っている。人生はまだまだこれからだ。40代の今、できることをしてこれからの人生の準備をしていきたい。

でも、結局私は森瑤子さんのような、格好いい生き方はできなかったなあとづくづく思うのだった。