男の○○を信じる女とは。

「男の言葉を信じる女は 痛い目にあう」

「男の行動を信じる女は 幸せになる」

これは経験済みで、痛いほどよくわかる。

言葉だけの男にも、行動で示す男にも私は会ってきているから。

言葉だけの男を私は信じて裏切られ、信じては裏切られ、その繰り返し。

裏切られ続けても、信じる私も私だ。それでも失うことが怖かった。男だけでなく、その周りにあった景色そのもの、がだ。本当はそんな言葉だけの男なんてどうでもよくて、手放したくなかったのは「男といた世界」だったのかもしれない。

常に期待と裏切りの繰り返し。心は疲労するばかり。

口だけでなく行動する男は、間違いなく信用できる人間だ。たしかにそんな男性に裏切られた記憶はない。

嘘は言わない。出来ないことは出来ないという。だから私も変に期待することはしなかった。心はいつも穏やかだった。

まさに幸せだった。

自分を幸せにしてくれる男だからだけではなくて、自分を大切にしようと思わせてくれるから幸せだったのだ。

幸せになりたいのであれば、自分を肯定させてくれる男性を好きになりたいですよね。

反フェミニスト。

私は人々が生きる社会において、多様性というものはとても大切だと思っていて、実感していたりもしています。

今回ブログに、あるフェミニスト、ミソジニストについて書こうと思ったのですが、はたして自分は男性、女性にどんな感情を抱いているか考えたんですね。

正直なことを言えば、私は反フェミニストのような気がしてきたのです。ミソジニストまではいかないと思っています。

このようなことを言うと、意外(私を知る人から)と思われるかもしれませんが。
ある雑誌の記事で女性が自立していく様、「女性が○○才から学び直す」「○人の子を持つ母親が離婚して自立……」という記事を読むと「女性だから凄い」のかと、そんなにこの生き方の多様化する世の中ですごいことなのだろうかと考えてしまうのです。

その反対も考えられますかね。つまり「女性だから凄い」のではなく、「女性なのに凄い」と言っているようにも思ったりするのです。それってもう当たり前の時代なのかもしれないのに。

男尊女卑がつい最近まで、いまの世の中にも根付いていると言われていましたが、社会は女性を擁護し、女尊男卑に変わりつつある、いや、もうそんな社会なのかもしれません。

私が反フェミニストであると思うのはそういったところであり、女の勝ち組と言った言葉に嫌悪感を覚えたりもします。

こういった見方は、多様性から外れているような気もするし、よくないなと思うこともあります。

でも現実、世の中には、女性だからと救われない人もたくさんいるわけで……難しい問題です。