自分らしい生き方って何?

私らしい生き方ってどんなだろうとよく考えます。

模索すればするほど、頭は混乱し息苦しくなります。どうしてそこまで自分を追い込むのでしょうか。まわりと比較しようとしてしまうからでしょうか。

案外「自分らしい生き方」なんて生きているうちは、ただそこにあるものではなく、幸せと一緒で目に見えないもの、もしくは後になって気づいたりするものかもしれません。

とは思っても、成功者には「これが私の生き方だ」と豪語する人もいます。

人はなぜアイデンティティを必要とするのでしょうか。誰かに認められたい承認欲求は誰もが持っている欲求ですが、自己を確立したがる、人生の意義を探求しようとしたりする人は少なくありません。

そこには他者からの目があるとも考えられます。自分の好きなことをして人から注目されたい。それはSNSでのプロフィールなどから読み取ることもできます。私もその一人なので、他人様のことは言えませんが。

そして、働き方が多様化したいま、自由に私たちは仕事を選択出来る時代にもなってきています。プロフィールを見ても実にさまざまです。

そこに「自分らしく働きたい」もしくは「自分らしく生きていきたい」が表れているような気がします。それが幸せな生き方だと信じて止まないのでしょう。

一方で、自由であるがゆえに悩み、自分は何がしたいのかわからず迷路に迷い込んでしまう人もいます。世の中多様だから思い通りにいかないのかもしれません。それが現代なのかもしれません。

いまの時代、どのような人が「自分らしい生き方」を見つけられるのか。もう少し考えてみたいと思います。

落ち込むことで得ること。

落ち込むことって、どんな方にもあるかと思います。

私はしょっちゅうなので、本当のことを言えば、「落ち込んだ時の対処法」は私が教えて欲しいと思うくらいなのです。

周囲もわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。アピールする必要もないのですが。

たとえば、私の場合一度落ち込むと、今度は上がるしかないのですが、この「上がる」が注意で、とんでもないくらいに上がってしまうのです。上がれば急激に下がる。なのでほどほどが必要になります。

私の例で申し訳ないのですが、

私はピアノが好きなので、と言っても現在どれだけ弾けるわけでもなく、大人になってからブランクを埋めるため、もっぱら簡単な曲を苦戦して弾いています。

大人になってからピアノに親しむために、もちろん弾けることに越したことはないのですが、ちょっと違う角度からピアノを見てみようと思いました。

そこで、私が思いついたのはやはり文章を書く事でしたので、まず本を読み、ピアノに関しての研究を少ししてみようかなという事でした。

さっそく銀座にある山野楽器(楽譜や楽器、そして音楽にまつわる本も豊富にあります)へ行き、本をまとめて数冊書いました。

曲または楽譜にとらわれる事なく、違う角度から何かを見ることは新鮮だし、新しいことを知るのはワクワクします。

ということで、この「好き」がとても大事になってくると思います。

常日頃「好き」を増やしておくのもいいかもしれません。

私が最近気づいたのは、

落ち込むことは「何かの起爆剤になる」

ということです。そこから、また新たな何かを発見し、始められるかもしれません。

これは私の例でピアノについて書きましたが、どんなことにも当てはまりそうな気がします。

常に新しいことに挑戦してみることって、いくつになっても自分を成長させてくれるとても楽しいことかもしれないし、落ち込んでも、

「自分はまだまだやれる」

と気づかせてくれるんですよね。

おこがましいですが、少しでも誰かの気持ちが晴れれば嬉しいです。