恋愛は 現実逃避 錯覚し(川柳、自作)
誰かを好きになる、でも、現実逃避が悪いわけじゃないとも思いませんか?ほんの一瞬でも、ときめいたこと、心奪われたこと、あった記憶はないですか?私は現実逃避しまくって、地に足がついていないことが遠い昔しょっちゅうありました。
その結果、現実を知れば辛いこと、泣きたいこと、またもや逃げ出したいことが次から次へと襲ってきました。いま思えば醜態を晒して生きてきたのだから。その「愛だの恋だの」を乗り越えた末に見えたものがありました。
愛情から友情になったり同志になったり。そんな話はよく聞きます。でもそれが一番いい関係が作れたりして。そんな関係でいられたら、それはそれでいいですよね。
人に恋をするってどういうことだと思いますか?
どうして人は、誰かを好きになるのでしょう。
誰かを好きになるということは、その人が「違うどこかの世界へ連れて行ってくれる」と思い込むことだと思っています。
私は。
「今の私と違う私にしてくれる」もしくは「この人は、私の知らない世界を見せてくれる」って思ってしまうのかもしれません。例えば、身近な人はもちろん、違う世界のあったこともない人だったり。尊敬の念がいつからか恋心に変わっていたり。そんなこともないでしょうか。
ちなみにわたしは、都々逸と言って七七七五の定型詩を作っています。ある本から引っ張り出してきた都々逸を三つ、ご紹介します。わたしが好きな作品ばかりです。
きのう別れてきょう逢うまでが 恋の二人にゃ久しぶり
花の命は咲かぬも咲くもあなたまかせの恋模様
惚れて惚れられ惚れられて惚れて 惚れて惚れられたことがない
どうでしょう。俳句や短歌も風流ですが、都々逸って独特な言い回しの中に、男と女の恋愛沙汰が粋に情歌として描かれていています。もちろん作品としては、そればかりではないのですが、今回は「恋だの愛だの」というタイトルなので。
先ほども書きましたが、私は常に「尊敬の気持ち」を大事にしているつもりです。それは、「愛とか恋とか」思うこともありますが、そこで気持ちだけが暴走しないように、気をつけたいです。私のまわりには「尊敬できる方」が多いので、困ります……。笑