昔ながらの幸福な時間。

先日私は素敵なあるご老人と出会った。玄関は昔ながらの引き戸。鍵はかかっておらず、開けっぱなし。がらがらと戸を開け「ごめんください」と、顔だけだし声を掛ければ、奥から「は〜い」と、女性の声が聞こえてきた。出迎えてくださったのは、奥様だろうか。とても可愛らしい(と言っては失礼だろうか)ご婦人があらわれた。

ここは、台東区の昔ながらの家屋が連なる、どこか懐かしい、下町だ。私たちは、奥様の「どうぞ」の声にうながされ、「先生」のもとへ通された。無造作に置かれた「都々逸」の投書に少し言葉をつまらせたが、「すみませんね。散らかってまして(笑)」と何度とおっしゃるご老人にすっかり安心しきっていた。

ご老人とは失礼だろうか。七七七五を定型詩とした「都々逸」を世に広めてらっしゃる素晴らしいお方なのだ。私はここ半年、「都々逸」や言葉遊びの歌会に月1通うようになった。私はまさかこのお方にお会い出来るとは思ってもいなかったので、緊張ぎみであったが、お会いしてみれば、とても気さくな笑顔の絶えない方だった。

奥様もとても愛らしく、お優しいご婦人で、お二人はとても素敵なご夫婦だった。

「また来てください」の言葉に、「そんなことおっしゃっていただけたら、また行きたくなりますよ」と思いつつ、下町を後にした。

私は、素敵なご夫婦に出会えたことで、なんだか幸福感に浸れた。幸せだな、私。

信州長野へ。

長野へ行ってきました。軽井沢までは何度も行っていますが長野までは初めて行きました。また行きたい。そんな旅になりました。

あいにくの雨でしたが、それはそれで風情溢れる温泉めぐりも出来ました。宿もとても良かったです。電車での旅ならではでした。おそらくツアーを選択して、大きな宿に止まっていたら今回の「旅」のようにはならなかったでしょう。

緻密な計算がなされていて、長野電鉄への乗り換え、バスの手配など、ゆったりと、でも止まることなく時間が流れていきました。宿の食事も、どれも地元で採れた山菜をふんだんに使った料理ばかりで、「あ〜山奥に来てるんだ〜」と、実感できる宿でした。

2日目、私には北斎の天井絵「鳳凰図」が圧巻でした。それから小布施を離れ、2日目の宿も露天風呂が良かったです。

眺めも良かった宿

そして3日目。露天混浴風呂に初挑戦(笑)です。と言っても女性はバスタオルではいるのがルールなので、そこは安心しました。

溢れる緑からの日差しが最高な露天風呂で、最後に最高の思い出が出来ました。

今回の句会旅行の作品を作ったので、後日ブログに書いてみたいと思います。駆け足で拙い日記のように書いてみましたが、自身の思い出として、書き留めておきます。

林真理子風なら許されるか。

昨日は美容室へ行ってきた。「六本木にある美容室」だと、お金持ちなのだろうか?というのも、帰り道「お友達」と電話で話をした中で、そんな話が出てきた。しかし、その彼の話は、おそらく今後とても興味深い話として、聞いていた。

さて、肝心な美容室だが、私はどうも美容室へ行くと挙動不審になる。以前にも似たようなことを書いたが。まず私は美容師さんとの会話が噛み合わない。というか、合わせようとしない。美容室での過ごし方は人それぞれだと思うが、私は、美容師さんのハサミのさばきに目を奪われるか、けやき坂の青々とした木々を眺めているのが好きなのである。ところで、毎回なのだが、美容師さんは私に「なに線で来てるの?」「……、いやあ、浅草線だな」あとから考えれば、つまり「六本木は、大江戸線と日比谷線があるが、なに線なのか?」おそらくそういう問いだったのだろう。私の浅草線に、笑いながら「浅草線ね」と頷いてくれた。美容室へ行くとどうも、アタマが働かない。だから、いつも必要最低限のことしか話せない。

なーにが六本木だ。と思われようと、私はそこの美容室は10年ほど通っていて、担当してくださる方もスペシャリストだ。もちろん指名が必要な方だ。要は私はいちいち指名しなくても大丈夫。つまり顔パス??……やめよう中途半端な自慢話になりそうだ。今回も思い通りの髪型にしてくださり、有り難い限り。

俳優の中尾彬さんとすれ違った。薄いピンクのジャケットが、いかにも一般人ではない雰囲気を醸し出していた。そういえば昔、東京ミッドタウンの脇の道を挟んだ店に、志村けんさんが談笑していたのを見た。その店も今はもう無くなっていたし、志村けんさんも……

東京タワーが見えるけやき坂

なんだか、林真理子のエッセイのような書き方になってしまったが、いや、一緒にしてはいけない。林真理子風なら許してもらえるだろうか?

物憂げな花。

私の家の前にはわりと大きな公園がある。子供の声がよく聞こえてくる。この、子供の声が聞こえてくるこの生活が、私はとても気に入っている。その子供たちの将来を案ずる事もあるが、今はこの平和でやすらぎなこの場所に生きていることをありがたく思う。世界を震撼させた出来事も、意味のあることとし、私たちは何をするべきなのか。人それぞれが違うことを考えるだろう。

何となくこの日本が変わってくれることを願っている。願っているというか、大きなことを言えば、この全世界の「何か」が変わっていくのだろう。それはいいことなのか、どんなことなのか、わからない。世界に広がっていった、新コロナウイルスがどれだけの人の命を奪っていったか。

花好きの私は、机の上にいけてある花を見ていると、物憂気に咲いているようで、そんなことを考えてしまえば、身上は穏やかでなくなる。だが、私が勝手に物憂気に咲いているように感じているだけで、そんなことは誰にもわからない。平和のようでいて、多くの零細企業の人たちがあちこちで毎日苦しい思いをしながら生きている現実を、今回のコロナ禍で浮き彫りになった。国は大きな課題を、早急に取り組まなければならない。

多くの人の苦しさを素通りするわけにはいかない。

The Sound of Silence

最近ではない。コロナウイルスが、騒がれてきたころの話。新宿のある小さな飲み屋で、ある方と日本酒を飲んだ。その時聞こえてきたのが、サイモン&ガーファンクルのThe Sound of Silenceだった。飲む席で流れる音楽は、なぜか心に残る。これがまた、韻を踏んでいるいい曲であるからなおさらだ。

私は、気が大きくなっていった。話すつもりなどなかった私の過去まで話した。大した過去ではないけれど。今でもこの曲は頭を過ぎる。The Sound of Silence、「静寂」だろうか。曲のせいでもあるのか、日本酒がおいしかったからだろか、やけに進んだ。酔っぱらうかと思っていたら、意外としっかりしていた。飲んだ後の外の空気は気持ちよかった。世の中がこんなことになるなんて想像もしてなかった。

口が達者ではない私が、いつもより喋っていたように思う。いろんなことを想像した。この私に出来ることなら、なんだって挑戦したい。そんなことも考えていた。楽しい夜だった。それは、嵐の前の静寂だった。

死の淵。

死の淵を見たことがあるだろうか。私はかれこれ10年ほど前、仕事で体を壊してしまい、主治医の先生から「死ぬかもしれなかった」状態だったことを告げられた。熱は40度をさまよい、熱からくる頭が割れるような頭痛が数日続いた。入院したばかりの頃は、耳鼻科の病棟で、喘息を患った子供たちがいた。夜中になると咳をする子供が増えた。その音を聞きながら、熱と苦しさと頭痛の闘いだった。昼間は眠れなくて嫌なことばかり考えてしまい、さみしくて怖くて毎日泣いていた。

私がなぜこんなことを書くのかと言えば、新型コロナウイルスでいま、たくさんの人たちが苦しんでいるからだ。死ぬことはもちろん怖い。死に至る過程で、人ははかなくあっという間になくなる人もいれば、もがいて苦しい闘病のすえに亡くなる人もいる。私は、以前のことがトラウマのようになっていた。

昨晩私は、NHKで岡江久美子さんの娘さんが、「コロナは恐ろしいです」というコメントを出していたのを見た。そう、恐ろしいのだ。それに、なんらかの病気で入院されたことのある方ならわかるかもしれないが、日本のあの病院の雰囲気はたまらず私を苦しめた。その中で40度の熱と激しい頭痛が、物凄く苦しかった。コロナ治療の最前線では、こんなものではない、恐ろしい殺伐とした闘いの中で苦しまなければならないのだ。私も激しい頭痛が止まらなかったときは、いつまでこの苦しさが続くのだろうと、泣いた。

その経過が、あまりにも恐ろしいのだ。私が言いたいのは、死ぬことへの恐怖がどうのこうのというのではなく、医療の最前線で何が起こっているのか。知っていなければならない。医療スタッフの命がけの治療、感染した人が一体どんな苦しみを受けるのか。想像し、私たちがしなければならないことを考えなければならない。病院や自宅などで自由を奪われることの苦しみを、少なからず「恐怖」としなければならない。あくまで、私はそう思っている。

失恋歌。

どうやら私にとって都々逸は失恋を句にした作品が多いみたいだ。失恋ということは、つまり恋愛の歌。たまに「飛んでる?」作品もあるが、人が考えつかないような表現で、情景が目の前に広がるのがいいかな。

でも私としては、やっぱり失恋歌だろうか。できるなら、心理描写があからさまにでたものより、どこか、読み手に余韻を残してもらうほうがいいかな。などと言っている私はまだまだ始めて日が浅いので、なんだか生意気なこと言っているのだが。

経験値は普通だと思うが、そう毎回劇的な経験をするわけではないから、そこらへんは、私の作品を見てくださって、想像していただければ嬉しい。

人数の多い都々逸の句会へ始めて参加する。選ばれたいとか、(もちろん選ばれたい)あまりそればかり考えず、先は長い、と思って楽しもうではないか。私の原稿書きによい影響がありますように。

失恋もいい経験だ。

外に出ない、こんな日は。

外に出ない日の大半が、都々逸を作っている。頭を使うので、やりだすと止まらなくなる。俳句や短歌、そして都々逸。多くの人に都々逸を親しんでもらえたら最高だ。(私の)作風が素晴らしいとか素晴らしくないとか、そういう話は抜きに(まだまだ)。

しかしここで、私がやならければならない、大切な原稿もいい加減に書き進めなければならない。実を言えば、気分がいい時は、自分の原稿は必ずいいものに仕上がると、根拠もなく思っていたりする。それだけに、自分にどこかムチ打って、追い詰めて、自分で自分の首を絞めていたりするのだ。だが、これは決して悪いことではなく、自分を追い詰めている自分が好きだったりする。そう、Sのじぶんと、Mの自分が両方いる時が最高に楽しい。しかし、ここしばらく、課題の提出も休んでしまった。甘えが出てしまうと、もう、だらだらで、そんな自分が嫌になるから、抜け出さないと。

そろそろ気合い入れて頑張ります。そう、やるべきことすべてに。

「別れの言葉を 聞き返す」。

この言葉は私が作った都々逸(7・7・7・5調)の最後7・5の部分。

歌会は休会になりました。

今回、初めて15個の都々逸作品を作ったのですが、改めて自分の作品を見てみると、どれもいとおしく、どれも気に入っている作品ばかりです。恋愛の句が多いでしょうか。それも別れの。まだ結果は出ていないので、ここに書けるかどうかもわかりませんが、どうなるかが楽しみで仕方ありません。

髪技を見入る。

髪をかなり短く切った。30㎝くらいは切っただろうか。私自身とても気に入っている。ロングの髪をばっさり切ったら、「ん?私、アヌーク・エーメ?『男と女』?」なんて、思ったくらい、「髪型」が似ていた。ちなみにアヌーク・エーメはフランスの女優『男と女』は彼女が出ている映画だ。というのも、いつも担当してくださる方は最近パリコレに行ってらした美容師さんだ。なおのこと「アヌーク・エーメ」を想像してしまった。こんな感じの髪型。もちろん、私がお願いした訳ではない。「髪型がたまたま似ていた」。

まさにこんな髪型

髪を切る決心をしたのは、美容室に行く電車の中だった。迷いはなかった。

ところで、私は美容室に行くとなぜか萎縮してしまう。綺麗に、美しくなるために行くのだから、楽しい場所ではないだろうか。もちろん、美容室では静かに過ごしたい、という人もいるだろう。私はと言えば、挙動不審だろうか。あまり鏡にうつった自分をまじまじ見ることは出来ない。だから、落ち着かない。だが、美容師さんの手捌きは見入るものがある。まさに髪技。素晴らしい。

そんな私も、美容室を出れば変わった自分に嬉しくなるのだが。

それにしても、広いスペースにお客さんは私ともう1人だった。帰りの日比谷線も空いてたな…