もがく思考。

頭の中は、何をどう書くかと言うことでいっぱいだ。

今回もこうやってブログを書いているけれども、おそらくろくなこと書かないかもしれない。でも、やっぱり一つ、私が抱える大切なことをここに書いておこうと思う。

私は、双極性障害だが、それを面と向かって「あなたは双極性障害ですよ」と言われたことはない。じゃあ何で知ったかというと、「薬」だ。私が精神を患い病院に通うようになった頃は、「お薬手帳」などと言うものはなかった。数年通うようになり、その手帳で、自分で薬の名前をネットで調べどのような病気のための薬で、副作用がある薬を飲んでいるのかわかるようになった。自分がどのような病気かも段々と分かってきてそれが確信となった。

テンションがものすごく上がると、急激に下がる。下がれば、ベッドから起き上がることはできない。上がれば、ほぼ寝ないで、原稿を書いていられる。このような簡単な表現で申し訳ないが、このような症状が続く。

でも私の悩みはこのような症状が続くために服用しなければならない「薬」にあった。

一日何種類もの薬を飲んでいた。それで症状が改善していったわけではなかった。合わなければ薬を変え、また体調が悪ければ、お願いして変えてもらう。それに対し、主治医から帰ってくる言葉は「マックスで出しているから、これ以上増やせない」だった。マックス?増やせない?薬を減らすことはできなかったのだろうか。私にはわからなかった。

現在の私は薬の減量治療をしている。かなり薬の量が減ったが、血液検査も良好。症状も穏やかだ。このような治療方法があるとは知らなかった。

知らないとは恐ろしいものだと思う。

この時代、声は重要なファクターです。

最近気付いた。

人はまず見た目から入る。見た目はたしかに大事!でも、実は見た目と同じ、もしくは見た目以上に気を使うべきところがあった。

それは【声】。

【声】が、容姿以上に大切だと思った。驚く発見になった。それは、スピーカーから聴こえてくる、よく通る澄んだ声を耳にした時だった。

あ、この方はこんなにクリアで、いい声をしているんだ。と思った。想像していた声と違っていた。

それと同じことが、YouTubeでもあった。

ガジェット通の女性をFacebookでフォローしていたので、その女性がしゃべっている動画は音をオフにしてもう何度も観ていた。

つい最近、YouTubeで初めて彼女の【声】を聴いた。

可愛らしさの中にも、落ち着きのある、聴いていて飽きさせない、そんな感じの【声】だった。やはり想像と違った。

一瞬で聴き惚れ、ファンになりチャンネル登録もした。

【声】ってこんなに大事なファクターだったのだ。

【声】だけで好印象を与えるのだから、【声】でがっかりさせてしまうこともある。オンラインのいま、澄んだ声でアピールする時代…にもなるか。私、ボイトレしたいです。ほんと。

半世紀生きようとする女が、しなやかに生きる、これから。

幼稚園の頃から、ピアノやバレエを習わせてくれた親に、私はとても感謝している。芸術を目の当たりにして、何かを感じずにはいられない、心から湧き上がってくることを一生感じていたいと思うからだ。

私も気づけば半世紀生きようとしていることに、過去を振り返るよりも、残りの数十年をやり残すことのないように、ひとつひとつ丁寧に生きていきたいと思う。私の切なる願いでもある。

歳取ると、どうしても、心が、頭の中がしなやかに対応出来なくなってくる。大切な人が、道をさとしてくれているのに、何度も同じことをやってしまうのだ。もっと多くのことを、柔軟に受け入れられることができたら……、それは私の理想、夢なのである。

私のまず大きな願いは、しなやかな感覚の持ち主でいたいこと。これは死ぬまで、そんな人間でありたい。

そのためには、多くの若者たちの声を聞きたいし、自分を解放することも必要。人との出会いや、常に芸術に触れる生き方ができればと思います。

これからは、無駄なことを減らして、真の意味で心を解放できる道に歩いて行きたい。

あなたに、ついて行くために。

真面目とは、心がここにあるかどうか。

原稿を書いていてふと思い出した。「真面目ですね」と言われることがある。「真面目」と言ってもいろんな捉え方があると思うけれど、勉強がデキる人を真面目と言ったり、博識な人を真面目とか言ったり、誠実な性格の人のことも「真面目」で括って言ったりする。一体わたしのどこが「真面目」なのだろうか。

わたしを知っている人は、おそらく真面目なんて思わないと思う。え、真面目とは違うんじゃない?って。自分でもそう思う。なぜなら勉強は嫌いだった。学生時代を振り返れば、中学生までだろうか、勉強が楽しいと感じてまともに勉強したのは。

もっとピアノの練習を真面目にしておけば良かったと思うし、中学の頃好きだった英語もその後も身につけておけば良かったと思う。性格を言えば、結構適当だったりするしなぁ……。

でもそんなわたしが病気になったことを考えれば、「適当」ではなく「真面目」だったのは納得できる。なぜなら「真面目」という字を見ると、「真っ正面」という言葉ととってみれる。つまり、わたしの性格は真っ正面からぶつかっていこうとしてしまう性格だったりする。避けることも必要であって、時には何かを手放すことも必要だし。多くのことに執着し生きてきてしまった。

そう考えれば、要領よく生きて来れなかったわたしがある意味「真面目」だということは納得できる。

そんなわたしがいま自分で確かにフィクションの世界でなく、なぜか人との接点が多くなるノンフィクションというジャンルを選んだ。というか、書いて誰かに伝えるための手段だったと言っていい。それも真面目というのかな?人生の中には、あえて避けていい道もある。

でもそんな自分を大切にすることも、他人に対して敬意を払えるかどうかなんじゃなかろうか。

ちょっと最後が尻切れトンボになった気がする。笑

「君は不器用 なんかじゃなくて こころがここに あるかどうか」

あなたの美の価値観は?

久しぶりの投稿。今回は、「自分の体型」について。

私は、学生の頃かなり痩せていた。どのくらい痩せていたのか。今の体重から30kg近くは痩せていた。学生の頃があまりにも痩せていた、というのもあるが、30kgというと、ちょっと普通の体型から遠ざかっているように感じると思う。もちろん今の私を見て「痩せてる」とは決して誰も思わないだろう。

今考えると色々なダイエットと言われるものを試した。

おにぎりダイエット、ジュースクレンズ、プロテインとか。ジムやサーキットトレーニングとか。でもこうやって見てみると、真剣に痩せたいと思っていたのだろうか。

学生の頃の痩せていた私は「太りたい」と真剣に思っていた。それぐらい、痩せている自分にコンプレックスがあった。憧れは「白くムチッとした二の腕」だったのだ。ちょうどバブルの絶頂期、ボディコンが流行っていた頃、それに似合う体型に憧れていた。

いつしか私は、その「願いが叶った」のだ。肉付きのよいふくよかな女性になりたかった私は、その願いが叶ったとはいえ、それを通り越し、医者から痩せるように言われるようになる。それより何より私好みのジャケットが着こなせなくなってしまった。お気に入りはウエストラインが絞られた細身のジャケット。このデザインが好きでみんな似たようなジャケットが増えたが、ウエストのボタンが閉まらない。細身だから腕も細く、私の憧れていた二の腕は、お気に入りのジャケットにおさまらなくなった。さすがにこれはショックだった。医者から痩せるように言われるよりも、自分のお気に入りの服が着られなくなることで、太り過ぎの現実を受け止めなければならないのは残念でならなかった。

と、ここで今日見た朝日新聞デジタル版で見た記事を書く。

世の中には、色々な体型の人間がいるのだから、その体系に合わせたモデルがいても、なんの不思議もない。だが、私たちは、何を持って「モデル=細い=スタイルがいい=美しい」と決めるのだろうか。『プラスサイズモデル』という言葉を知っているだろうか。私が知ったのはアメリカの動画でだった。プラスサイズモデルをしている体の大きな女性を見て、アメリカらしい、などと思って見ていた。記事には日本で活躍するプラスサイズモデルの女性が出ていたのである。「自分の体が大好き」と語る彼女。だが彼女が懸念していたのは、「世の中にはたくさんの『コンプレックス商法』であふれている」ということ。たとえば「『顔のシミ、気になりませんか?』という宣伝文句で私たちの心に『気になる』というコンプレックスを植え付けて、しみとりをうたう商品の購入に誘導する」という商法だそうだ。こんな商業主義がもたらした価値観に引き摺り込まれないためにも、自分の欲望や選択について、ときどき考えてみることが大切。おそらく多くの日本人女性が今まで煽られるように感じてきた『美しさ』って、自然にそこにあるものじゃなくて、社会的に作られてきたものなんですよね。痩せている方が美しいとか、無駄毛がないのが美しいとか。社会に作られた価値観に縛られている」と彼女は語っている。

私は改めて、自信を少し取り戻した。というか、私の価値観は「痩せている=美」ではないと思っている。ものすごく痩せていた自分と、太っている自分の体を見てきているから、私の美の価値観は痩せていることではないと言える。

ただ、医者に痩せるように言われていることは、無視できない。やはり健康あってのカラダなのだ。でも、例えダイエットをしたとしても、私は昔の体型に戻りたいとは思っていない。つまり、30kg落とそうなどとは思わないのである。もっと自分のなりたい基準を考えれば、私は自分の体が今は好き。だから女性らしい体はキープしつつ、ただむやみに痩せたいと思うのではなく、自分の体の声を聞いて、今自分は体のどの部分に無理がいっているのか把握しながら自分の体を創っていきたい。とまあ、それが大人になった私の年齢に必要なダイエット、そして美の価値観なのかもしれない。

紙に埋もれる仕事場

このタイトルは、まさに私の机の上のこと。雑多な中で、パソコンを打っている。これだ!と思うものは手当たり次第印刷してしまうものだから、机の上は印刷物で溢れている。一応「コロナ」と書いてあるもの「コロナで時間の使い方が一変 やめたこと、変えたこと」などそんな記事を見つけては印刷して参考になる資料は全て取っておく。果たして私のやっていることが正しいのか、効率の良いことなのかわからない。それから、私はある程度自分の書いた原稿を書くとプリントアウトする。そこにペンで修正をする。プリントはどんどん増えていく。

コロナ禍で一番変わったのはその「場所と時間の使い方」だろう。働き方が変わって、良かったという人もいるが、時間の使い方が変わり、働き方を変わらせざるをえない人もいるだろう。コロナでの新しい仕事の仕方、デメリット、メリットを考える。

NHKで見たのだが、共働きだった夫婦が、奥さんが単身赴任で自宅を離れなければならない状態にあったという。だが、今回のコロナの影響で、奥さんは自宅でリモートワークをすることになり、単身赴任は免れたという話。だいぶ内容を短縮して書いたが、それだけ、いかにコロナ禍での「場所と時間の制約」というものが大きいということを考える。それによって悩んでいる人も多いのである。

しかし、考えれば考えただけ、多ければ多いほど、これまた変った発想が生まれるかもしれない。在宅勤務の人であれば、肯定的に考える人もいれば、負担を感じる人もいるが、このコロナ禍のなかで、どう日本の働き方が変わっていくのか。仕事に限らない。家事にも影響するかもしれない。それが良いのか悪いのかはわからないが、そのために効率的に多くの「時間の使い方」を考えるべきだろう。

「私的バブル時代」

私の30代は「私的バブル時代」だった。

当時私がその頃欲しかったもの、したかったこと。それは六本木、西麻布辺りに住むことだった。なぜそれがしたかったのか。仕事をするためだった。私がいろいろな仕事をし、住むことになったのは六本木3丁目、ほぼ六本木交差点に近い1Kのマンションだった。テレビはない。なにせ、不夜城六本木だから、夜はとにかく明るく、静かな部屋にいても、サラリーマン集団のカラオケの声が聞こえる部屋だった。よく聞こえていた曲「羞恥心」だった。それはよく覚えている。まあ細かく話せば、チリもホコリも出てくるわけで。だが今回は「私的バブル時代」なので、なるべく手短かに振り返る。

「バブル時代」というのだから自分の中で最高に景気が良かった時代だ。仕事場は五反田。行きは電車でも、帰りはタクシーで帰ることが多かった。いくら近いとは言え、今思えば自分はどんな身分だったんだ、と突っ込みたくなる。買い物はヒルズやミッドタウンなど、買い物にもお金はそれなりに使った。この頃作ったクレジットカードは「出かける時は忘れずに」のCM(今の人は知らないか?)のアメックス。プラチナカードの紹介状?まで送られてきたのは、怖かった。食べ物はどうしていたのか。食べ物は意外と質素だったが、時々交差点にあるビルの焼肉レストランに行き、大好物だったレバ刺しを食べては幸せ感にひたっていた。今はもう食べられないので、あの頃が懐かしい。

バブルがはじけたのは、ある男性が私にこんな話をしてきた頃からだ。「俺ね、サイパンに毎年仲間と◯週間いってるんだけど、一緒に行かない?行こうよ。お金はいらない。水着だけ用意してね」私は、だんだん自分のいる世界が歪んできたような不思議な気分でいた。でも、私も若かった。その男性の話を信じ、何度かご飯を食べた。でもある日、BMWで家まで送ってくれた。今住んでいる家だった。男性とはそれ以来音信不通。狐にでもつままれたような気分だった。六本木の部屋はどうした、部屋は。2年半居たがもうお金の限界だった。

さて、私は一体何が欲しかったのだろう、と思う。お金?港区に住むこと?広いマンションに住むこと?プラチナカード?私のこの話をどのように受け止めてくださるかわらないが、六本木が自分の庭のように見えていたあの頃。

あの頃の自分を振り返ると、今が一番幸せだな、と思う。思うのではなくて、心の底から幸せを感じる。どこが?あの頃の私は、いろんなものを抱えていても「孤独」だったから。今のように人に恵まれる幸せはなかった。

だが、そんな経験をしたおかげで、今は余計なものは欲しくなくなった。それも心に充実感があるからだ。カラオケでサラリーマンの声を聞いているのではなく、子供の声を聞くことが今は安らぎになっている。場所なんか、住めば都だ。モノや場所に執着することはとうになくなった。

この話は、笑い話にしたかったが、なんだか懐かしく思えてきてしまった。以上「私的バブル珍騒動」でした。

男と女の見た目。

私は私立の女子校を出ているため、「身嗜みやお洒落に力を入れている女子」と「手入れさえしていれば、お洒落に気を使わなくても」と考える女子と分かれていた。中学生の頃、まあ私もおしゃれには興味がなかったわけではないが、行動範囲が狭かったため、洋服は「イトーヨーカドー」だった。

同じクラスの女の子は、綺麗なロングヘアをなびかせて(学校では三つ編みにしなければならない)学校に通っていたし、高校生の先輩はいつも髪はいい香りを漂わせて、いわゆる「垢抜けた」女子が多かった。私も影響されるようになり、シャンプーもいい香りが残るものに変えたし、髪型も当時人気のあった「鈴木保奈美」のようなショートにしたこともあった。スカートは短くし、それなりに「垢抜けた高校生」になった。

担任の先生は私にいった。「妙に色っぽくなりやがって。お前がそんな格好をしているから心配して3年間お前の担任をしていたんだぞ」なんの話だ。大きなお世話と思うだろうが、事実でもあった。私の友達には、夜遊びをする女の子が多かった。「派手で垢抜けた女子」と「地味で堅実な女子」におおよそ別れていた。私はどちらのグループにも入らなかったが、憧れていた可愛い女子が、会えば私の名を読んで話しかけてくれていた。私は、やはり「垢抜けた女子」になりたかったのだ。

そんなことを追求してきた私は、肝心な勉強をろくにせず、大学は浪人した。大学に入ったら、またお洒落で垢抜けた女の子と仲良くなった。彼女は誰が見ても「綺麗」「可愛い」と言ったタイプではなく「格好いい」という言葉が合う子だった。彼女との出会いは私も大きな影響を受けた。タバコを吸う様、本を読む様、髪を結く様、動作一つ一つが私の目を釘付けにした。特にタバコを吸う様は本当に格好良かった。やはり私もタバコを吸ったが、私自身がタバコを形で吸うことに興味を無くし、やめた。彼女の1番の「格好いい」と思ったところは、「洋服」にあった。マスタードイエローのウエストが細いジャケットは、最高に格好良かった。私はそれを見てから、細身のウエストを絞ったジャケットを着るようになった。今でもつい買ってしまうのだが、体型が学生の頃とかなり変わってしまったため、細身のジャケットはタンスの肥やしになっている。

これだけ長く、「女の見た目」を書いてしまったが、じゃあ「男の見た目」はどうなの?と言われると、私はあまり理想はない。こ綺麗していれば、「垢抜けて」いなくても別段なんとも思わないし、「男を見た目」で判断するほど「野暮」なことはないなと思うのである。それは過去の経験がそう思わせているのだろう。私は「女は美しく(決して美人という意味ではない)」「男は中身」だと思っている。

まあ、学生の頃とかなり体型が変わってしまったため、気に入っていた服も、私にとっては「野暮」となった。何がなんでも痩せなきゃならない。いろんな意味で。そう思うのである。

本物のホスピタリティ。

本物のホスピタリティに必要なのは、見た目の豪華さだけではない。

私は岐阜にある「源泉かけ流し」などを売りとしているあるホテルへ行ってきた。私が考えるいい宿には、ホスピタリティ、つまりおもてなしがあること。これについては人それぞれ感じ方があっていいと思うのだが。

ではそのホテル、そして私たち(5人)をもてなしてくれた「社長さん」に私が感じたことはおそらく4対1で、少数派の意見かもしれないことをあらかじめ書いておく。

私の考えるホスピタリティとは「何か」が違っていた。掛け流しの温泉、豪華な食事、広々とした部屋に、東京ドーム6個分の大自然に数十戸はあるお洒落なコテージ。絵に描いたようなゴージャス感はあるが、社長さんの話を一部聞いていて気づいた。ゴージャスなのは、海外の一流と言われるホテルへ行き、その目で見た豪華さを寄せ集めたゴージャスでは……?

ホスピタリティとはおもてなしだが、サービスではない。たしかにご招待でご相伴にあずかった身としては、「ひどいことを言うもんだ」となるだろう。私はいつか、普通の客としてこのホテルへ行ってみたいものだ。どの様な接客をするのか、見てみたい。

本当のホスピタリティとは何か、社長さんが海外に行き、小さなコミュニケーションに目を光らせ、上から目線ではないおもてなしの心を大切にして欲しい、というのが私の本当の感想である。客がどんなひとであれ、大切な思い出を作るのがホテルの役割なのかもしれない。今回正直、私自身のなかで「どうして私は「凄い!」と、他の方々のように思えなかったのだろう」そう考え続けた。

さらに書けば長くなることで、人物考査が書けなかったこと、この記事は事情により、割愛した部分が多かったことは残念だったが。またどこかで、書く機会はあるだろう。

私は、温泉宿か、ホテルかわからないが、出来れば取材してみたいと思った。

いい空気をいただける方。

しんどい時、作業がはかどらない、そんな時「いい空気をもらえる人」は、今のわたしにとって、とても大切で大きな存在だ。私のまわりには、大切、とても感謝できる方たちに囲まれているような気がしている。

なぜだろうか。心がやすらぐ、というか……。あまり限定して書いてしまうと迷惑かけてしまうような気がするので深くは書かない。これを読んでいる方に誤解されてもまた困るのだが。ただただ、安心感をもらえるのは確かだ。

「私は一介のライター、編集者なので」

その言葉に、私はなんとも言えない複雑な気持ちを抱いた。仮に私が、特別な思いを持っていたりしても、いちライターと、編集者さんなのだ。なんとも迷惑な話だ。申し訳ありません。

なんて、私のまた悪いクセが出てしまった。

私はまたパワーをいただきました。「これからも、原稿書かせていただきます。頑張ります!今後ともよろしくお願いいたします」

しつこいほど、また空気をいただきに行くだろう。素敵な方だと思いますので。ですが、誤解なきように。