男の○○を信じる女とは。

「男の言葉を信じる女は 痛い目にあう」

「男の行動を信じる女は 幸せになる」

これは経験済みで、痛いほどよくわかる。

言葉だけの男にも、行動で示す男にも私は会ってきているから。

言葉だけの男を私は信じて裏切られ、信じては裏切られ、その繰り返し。

裏切られ続けても、信じる私も私だ。それでも失うことが怖かった。男だけでなく、その周りにあった景色そのもの、がだ。本当はそんな言葉だけの男なんてどうでもよくて、手放したくなかったのは「男といた世界」だったのかもしれない。

常に期待と裏切りの繰り返し。心は疲労するばかり。

口だけでなく行動する男は、間違いなく信用できる人間だ。たしかにそんな男性に裏切られた記憶はない。

嘘は言わない。出来ないことは出来ないという。だから私も変に期待することはしなかった。心はいつも穏やかだった。

まさに幸せだった。

自分を幸せにしてくれる男だからだけではなくて、自分を大切にしようと思わせてくれるから幸せだったのだ。

幸せになりたいのであれば、自分を肯定させてくれる男性を好きになりたいですよね。

こんな詩のようなものを書いてみた。

4年前のある時、こんな詩のようなものを書いていた。

『SNSでしか会えない僕らは

同じ時間を共有していても

お互い見ているものが違う

幸せと思えたはずの

一瞬通じ合えた僕らの心は

本当は何ひとつ

重なることなどないのに

共感し合えたあの幸せな時間も

本当のきみの姿を

本当のきみの心を

本当のきみの笑顔を

ただ見ていたかっただけ

それなのに 見えない真実が

現実に溝をつくっていく

わが心の想い悲しけれ……

思い出だけが記憶にとまり 投稿だけが流れていく

そんな世界に僕らは生きている』

思いつきで書いた。これを書いた時は楽しんで書いていた。

批評・感想いただけたら嬉しいです!

愛おしい君へ。

この2、3年。いや、もっとかな。私には大切にすべき人がたくさん出来ました。

精神的にも肉体的にも苦しかった日々を考えると、今が一番安定していて落ち着いているし、この世から消えたくなるくらいの孤独を味わった日々もあったけど、いまはいろんな方のお陰で幸せに生活している。

やっぱり、愛すべきは「人」なんだ。

私はいまつくづく思っている。

私の過去を知っても、応援してくれる人。

私のダメダメな文章をずっと見てきてくれた人。

どんな時にも相談に乗ってくれて支えてくれた人。

私のお願いを聞いて助けてくれた人。

私をデートに誘ってくれる素敵な人。

いつも「いいね」くれる人。

私を許してくれた人。

他にもいるけど、どんな人も、共通していて私の好きな紳士的で素敵な人ばかりだ。

言い方は良い悪いは別として、私の感情を表現すれば、「愛おしい方々」なのである。

だから、まとめて「愛おしい君へ」というタイトルにした。

ありがとう。

本当にありがとうございます。心から感謝します。

面白いのは男女の「間」

男女って、追えば逃げられるし、興味がないのに寄ってくるってないですか?

そんな距離感が滑稽におもえてきたりするんですけどね。そこでストップをかけられるあなたは素晴らしい。

それを越えるとややこしくなる。

そういう恋愛は若い頃たくさん?(嘘)してきたので、もう嫌です。

なので、男女は距離を保ちましょう。というお話。

でも、男って「追う生き物」なんですよね。本能で。

じゃあ女は?追われたいのかなあ。ちやほやされたい願望があったりしますよね。

わたしでしょうか。新入社員時代はありましたよ。願望がやっぱり。笑

で・す・が、ちやほやされた記憶がない!本当に。なぜなら、わたしより年下の女の子がいたから。

でもわたしは追われるより、追いたい派なので、あまり気にしませんでしたが。

でも、わたしみたいなのが一番タチ悪い。

先ほども言いましたが、男は追う生き物。

わたしみたいに追われるより追いたい女は、どうにもならないんです。散々な結果が待っています。

ということで、男女間の距離はうまく保ちたいと思うわたしです。

もう立派な?大人ですし。あまり雰囲気にのみこまれずいきたいものです。

器用に生きたいなあ。笑

「女」という生き物。

人がどう思うかわからないけど、私は、「愛」に生き、「男」に生きてきた。

私はそうやって子供の頃から生きてきたし、特に30代かな。40過ぎてもいつも心には「恋愛」や「男」がいた。

こういうことを書くと、あまりよく思われない。女性を敵に回したり、男性からは冷たい視線を浴びたこともあった。

なぜこんなことをこのブログに書く気になったか。

瀬戸内寂聴さんが亡くなられ、ある記事を見たからだ。

最近好きな人からも私の「恋心」を否定された。

でも、アホな私は、またほのかに想う男性もいる。おそらく打ち明けることはできないだろう。全く私の存在すら気に留めてくれていないだろから。「立場」が違うから。いいね、もらっただけで感動する私。コメントもらって喜ぶ私。

そんなこんなで、私は「女」を生きている。否定されても仕方ない。一種の病気かもしれないけれど、この先いつまで続くことやら。

「男」に、媚びるつもりは全くない。甘えるつもりも全くない。そこは誤解されたくない。あくまで好きな想いでしかない。

私には瀬戸内寂聴さんのように、慈悲があるわけでもない。

寂聴さんの生き方は、誰にも真似のできない、いや、寂聴さんのように人生を思うように開けずに、生きてきた「女」、苦しんでいる「女」はいっぱいいる。

寂聴さんはそんな「女」の先駆者だった。

そんな人物を亡くし、悲しんだり、苦しんだりするいわば「女」はまた増えるのかもしれない。

ほら、そこにまた一人……

不確かな想い。2

初秋。犬の散歩の朝はもう肌寒い。

水面に立つ波が見たくて桟橋へ行く。

ここへ来ると何かが浮かんでくる。あの人の言葉。

「それを書く価値はある」。

そういつも励ましてくださる。褒められるとそれが嬉しい。

初めて会ったこと。

今でも覚えてる。

今日も空っぽの頭の中、必死に言葉探してる。

書くことがこんなに苦しいなんて。

それでも、自分の道を曲げられなくて。

こんな私でも、どこかで見ていてくれると心の中で信じてる。

現実は厳しくても。

あの時見た携帯を打つ、うつむく姿に、細い指。

私は釘付けになった。

本人はわからない。告げたいこの想い。

どうか気づいて欲しいけど、私の夢が現実にならない限り、

この想いは届かない。告げられない。

メッセンジャーでは通じない。

高杉晋作も愛すべき人になるのかな。

女心と秋の空。

好きなのに 憎いあいつ

好きなのに 口も聞きたくない

好きなのに 顔も見たくない

好きなのに 嫌いと言えたら

好きなのに 楽に思う

好きなのに 負けたくない

好きなのに 見せたくない愛情

好きなのに 愛憎の念が入り混じり

好きだから 憎からず思う

嫌いでも 結局一番好きなんだ

あ〜、もう嫌い!

女心と秋の空……

同志である大切な人。

大切な人って、どんな思い出であっても、そんな人いませんか?

私にも大切な人います。誰かに話すことはないでしょう。

おそらく、歳とっても、死ぬまで忘れることのない人です。

思い出はすべて、私の中だけに存在しています。

その大切な人と思い出を分け合うこともしないと思います。

それはとても切ないことですが、それが現実なのです。

これからは糸の切れない、こころざしや主義を持った同志でいたい。

でも、恋ごころは消したくない。あの時繋いだ手が離れても。

喜びも悲しみも分かち合えた事実は、消えないように。

世に出ることのないフィクション。

この話、実話ではありません。なんとなく書いてみました。

でも、多少実話を織り交ぜているかもしれません。笑

写真の花はダリアの「恋金魚」。

高校生の時の私は、気の多い性格だったせいか、二人同時に男性を好きになったことがある。その二人は兄弟だった。

「兄」はノリの軽い男性で、「弟」は真面目だった。私はなぜ私が正反対の、しかも兄弟を好きになったのかはわからない。どちらもどこかに魅力を感じたのだろう。

奥手だった私は、どちらにも話しかけることができず、でも何もしないでいることもできなかったので、その兄弟に手紙を書いた記憶がある。内容はあまり覚えていない。

でも、奥手なくせに意外と大胆な私は「好きです」の一言くらい書いたような気がする。

「弟」は反応がなかった。「兄」の方は家に誘ってきた。この「兄」は軽いと言っても、話が面白いだけで、「悪いノリ」があったわけではないので、私は心配することもなく、家に行った。

部屋には恋愛漫画の原本がたくさん飾られていた。

「はっ」私は反応した。その恋愛漫画は私もみたことあるが、その少女の名前を初めて知った。

私と同じ名前だった。

彼は私に「〇〇ちゃん」「〇〇ちゃん」よくそう話しかけてくれていたのは、もしかして……

私はありもしない期待で、ドキドキした。

彼は優しい言葉で、黙る私にたくさん話をしてくれた。

彼はそのあと駅まで見送ってくれた。

その後彼は私の友達と付き合った。

私の予想は外れだったわけだ。

「弟」は相変わらず反応もなく、私の気持ちも薄くなっていった。

「兄」は高校3年生。私が2年生の時、彼は大学へ進学せずロサンゼルスに遊学すると聞いたのだ。

でもさほどなぜだかショックも受けず、成田空港へ見送ることしか考えなかった。

「兄」の同級生の友達が車で友達を乗せて行くと聞きつけたので、私も同乗させてもらうことにした。

当日、「兄」の友達は180㎞というとんでもないスピードで高速を飛ばして空港へ向かった。生きててよかった。

成田空港へ着いた私は、彼に一応挨拶をいうと、彼はロサンゼルスの住所の書いてある紙を私に渡した。そして握手を求めてきた。

私は一人、ぼーっとしていると、彼は私のそばに寄ってきて突然、あみんの「待つわ」を口ずさんできた。

「私待〜つ〜わ〜」

私はそんなに悲しくなかった。泣くことはなかった。

果たして私は待つのだろうか。

彼のあの歌の意味はなんだったのだろうか。待っていて欲しいの?

な訳ないよね。私はそう思うと、なぜか高校のカバンを持って手を振りながらゲートへ入って行く彼を、冷めた顔をして見送っていた。

そのあと、私は彼に手紙を送ることもなく、住所の書かれた紙もどこかへいってしまった。

これが私の初恋。

不確かな想い。

好意を持つ人がいます。ですが、特に「恋愛」とはちよっと違うんですね。「告白」といった内容ではありません。

著名人ではありません。

おそらくこの気持ちは、本人に伝わることもないし、顔を合わしているわけでもなく、伝えることはできない遠くて近い距離にいます。

というと、なんだかやっぱり「恋愛」?と思われてしまいそうですが、そんなつもりはなくて、あくまで「好意」だし、おそらくご本人は私がそんな思いがあるなんて絶対、思っていないはずです。絶対に。笑

「あることを達成」したら、実は…と笑い話で話してもいいかなとは思っています。

でもその「あることの達成」も遠い話です。

あくまで「実は…そうだったんです。笑」みたいな会話でいいんです。

でも、私にはそんな気持ちがなぜあるのかまったくわかりません。その気持ちがなんなのかもさっぱりわかりません。

でも誰かにそんな気持ちを持つことって、意外と誰にでもあったりしないでしょうか。

白いバラの花言葉は「深い尊敬」だそうです。

「尊敬」?「好意」?いい人だな、とか。そんな感じなのかもわからないでいます。とにかく一方的な気持ちですね。親近感?でしょうか。しかも遠いんだか近いんだか。

ご本人にこれを読んでもらってわかってもらえないかなあ。笑