夜の蝶Nの回顧録。(5)〜謎〜

あなたには困っているときに正直に言える人がいるだろうか……。

自分の一番ダメ、と思っているところを見せられる人がいるだろうか……。

Nがなぜこの世界で働き始めたのか。今回はその話をしてみようと思う。

Nが働いていたのは30代の頃。店からは、年齢を聞かれたら27歳と言ってくれと言われていた。7、8歳ばかりサバを読んでいた。

なぜNは風俗を選んだのだろうか。お金のため?生活苦?

そういったことではなかった。Nが選んだのは心理的なものだったのかもしれない。

心理的なものとは。

Nにとって裸になるということは、心の中を見せることでもあった。

決して辛いことではなく、男と女の二人だけの空間で、自分の全てを曝け出せること。それは「心の解放感」そのものだった。

Nは会社員として働いたこともあった。だが、組織に馴染めなかった。自分を縛り付けているものは、表面でいい顔をしている上司であり、同僚だったのだ。そんな表社会から裏社会へ行けば、自分の周りの何かが変わる。

飛び込んだ世界に間違いはなかった。

風俗で働くということを決して、恥ずかしいとか、惨めだと思ったことなど一度もない。

Nを「縛るもの」は何もなかった。

お客さんが楽しんで帰ってくれればそれでいい。性欲も性癖も全て自分に見せてくれればそれでいい。仕事は楽しかった。ただ一つ難があるとしたら、それは体力だった。12時から23時を過ぎるまで働いたNは3度も体を壊したことがあった。はじめて過労で入院した時は、死ぬことも考えられたと医師から告げられた。

それでもNが仕事を辞めなかったのは、お客さまに対する使命感だった。

「指名してくれるお客様がいる限り辞める訳にはいかない」

五反田の街のサラリーマンの視線はいつもNに向けられている……ようにNは感じながら、ホテルへと向かうのだった。

夜の蝶Nの回顧録。(4)〜肌で感じること〜

女の子の仕事の流れはその子のモラルによるのだろうが、Nにとってお客さまは高額なお金を払って指名してくださる大切なお客さまだ。

「所作は美しく」がモットーだった。

まず部屋へ入ると、大抵のお客さまは靴が揃っていないことが多い。それをNは丁寧に揃える。

お客さまへは正座をし、丁寧にご挨拶。それから事務所へ電話をする。電話ももちろん丁寧に「Nです。〇〇さまのお部屋に着きました。失礼いたします」と事務所へ到着の報告をする。

それから支払いが現金の場合はここでいただく。しかも両手で受け取ること。Nにとって、この現金がなぜかとても重みを感じる。なぜだろう。高額だからではない。それもあるかもしれないが、高額以上に、このお金で遊んでいってくださる方に対し、ただ仕事としてではなく、自分を指名してくださったことにいかに溜まっているものを吐き出していただくか、プレッシャーを感じたりもする。

これは店側の話だが、お客さまが必ずしも女の子を指名するとは限らない。店の勧めで推す場合もある。こればかりは、店側の話なのでここでは深く話さないが。

そして今回のお客さま。

話を聞けばITのベンチャーのようだ。さいとうさま。メールアドレスを教えてきた「さいとう」という源氏名をよく覚えていた。しかも、さいとうはNにこんなことを言ってきた。

「島へ行こうよ!持ち物は水着とパスポートだけでいいからさ」

「え?」戸惑うNに、さいとうは

「毎年職場の仲間で行ってるんだ。お金のことは気にしなくていい」

「……」

本当か嘘かわからない。しかも店から女の子と外で会うことは禁止していることを聞いているはずだ。

「仕事何時に終わるの?終わったら食事に行こうよ」

お客さまと仕事の外で会うことは禁じられている。いや禁じられていたはずだ。だがNは冷静にさいとうの本心を探りたくなった。

その夜、さいとうは銀座の夜景が綺麗なホテルのラウンジにNを連れていった。食事をした後、ソファでいろいろ話をしたがこの男性の話は全くと言っていいほど覚えていなかった。

なんというかそれくらいNにとって「人間味」に欠ける人物だった。

Nのお客さまは大抵彼女に素の姿を見せてくる人がほとんどだ。願望や欲望、傲慢さであったり、時には愛情を求めてくる人であったり。プレイだけでなく、Nにとってお客様と会話をしているとそういったお客さまの「人間味」を「肌で感じる」のだ。

どんな人物であっても、Nにとって愛おしいとお客さまに感じるときが、この仕事をしていてよかったと思えることだった。

だが、さいとうにはそんな人間味が感じられなかった。プレイしているときもそう。全く楽しそうでもなく、したくてしているように見えない姿にこの男は何を求めてここへやってくるのか。Nには理解できなかった。

「次の日仕事があるんだ。お台場のホテルに泊まるけど一緒に泊まらない?」

「私、彼氏が待っているから帰らなきゃ」

「彼氏がいたの?それ早く言ってよ。誘わなかったのに」

「そうね。言えばよかったわね……」Nはそう呟きながらその場を去った。

案の定だった。Nにとってこういう男がどれだけつまらないか。

それからさいとうから指名はこなくなった。 

記憶から抹殺したい残念な「お客」だった。

夜の蝶Nの回顧録。(3)〜鞭〜

今回もちょっと癖のある常連さまのお相手だった。

コスプレ好きの男性(ここでは)は多いと思う。例えば、よくあるコスプレではセーラー服やレースクイーンのあのボディコン姿。Nのお客さまでは白いブラウスに黒いスカートを持ってくる男性もいた。女教師のコスプレだ。

男性は「視覚」で興奮する生き物。実際、お客さまからガーターベルトをつけてきてほしいと言う要望も多かったのだ。Nたちは常にガーターベルトを着けるよう店から言われていた。

だが、この常連さまの好きなコスチュームは「乗馬スタイル」だった。

お客さまはNに会うなり本格的な乗馬のブーツとヘルメットそして鞭を大きなバッグから取り出してみせた。

Nは興奮した。なぜならNは縛られることが好きで、鞭で打たれることは他の仕事でもしていたからだ。

「君は身長何センチ?」

「165です」

「そうか……」

お客さまはそう言うと、どこか残念そうに乗馬ブーツを見つめ考え事をしていた。

Nは不安になってきた。お客さまに楽しんでいただくために、どうしたらいいか。とっさに考えた。

「あの。鞭、素敵ですね。本物の鞭初めてみました。触ってもいいですか?」

この革の感触がなんとも言えない。Nはそう思いながら興奮し、これから起こることを想像しながら楽しげに遊んでみせた。

「そうか。鞭まだあるんだ。今度君に持ってくるからあげるよ」

「本当ですか?!嬉しい!必ずですよ」

「ああ、もちろん。次も指名するから。その時にね」

Nは本気で喜んだ。

そしてお客さまはNに乗馬ブーツを履かせヘルメットをかぶせた。しかし、どうしたものかNは様にならなかった。様にならなかったのか、そう見えてしまうのか、わからなかったが。

どこがおかしいのかしら。Nは鏡を見ながらどこか不格好な姿に自分でも嫌になった。

そのお客さまは好みである乗馬スタイルのNに不思議なくらい何もしてこなかった。

興奮しないのかな。この格好が好きな方なのでは?

しかし、お客さまは陽気な方だった。よく喋った。Nも話しに夢中になり、それで終わった。

後日、Nはどうしてもあの「乗馬のお客さま」が気になって仕方なかった。何もしないお客さまなんてよくいること。でも腑に落ちなかったのだ。

ほとんど休憩時間もなく、事務所に帰ることもない程忙しいNに、やっと女の子たちのいる部屋へ戻ることができた時、ある女の子がロッカーを開け着替え始めたその瞬間「あっ」。Nは見た。

鞭だ!Nが欲しがっていたあの鞭。

あのお客さまはNではなく、この女の子に鞭をあげていたのだ。その時気づいた。あのお客さまが身長を聞いてきた時の表情。そしてそのロッカーの持ち主だった女の子は「小柄」だったのだ。

お客さまにとって、どうやら「小柄の女の子」がお好みだったらしい。

2度と、Nにそのお客さまからの指名はこなかった。あれだけ指名してくれると約束したのに。

まあ、これもよくある話。

夜の蝶Nの回顧録。(3)〜五つ星ホテルへの出張〜

今回のお客さまはパークハイアットのスイートルームにお泊まりの常連さま。たまにはこんな日もある。

Nは、五反田の事務所から急いで送迎の車へ乗り込み新宿のパークハイアットへ向かった。着くと、一人の女性がNの乗った送迎の車を待っていた。

そう、一人120分、合計で4時間スイートルームで遊ぶお客さまなのだ。

一体どんな人物なのだろうか。

常連、という情報はもちろん店側が教えてくれる。Nは初めてだったのでとても興味があった。高級ホテルでどんな風に遊ぶのか。そのようなお金持ちがどんな会話をするのか。興味があったのは人物だけじゃなく、この五つ星ホテルのスイートルームがどんな部屋なのか。とにかく楽しみで仕方なかった。

ドキドキしながら部屋に入るとほとんど中は真っ暗だった。

どこに何があるのかなんて、外の夜景の明かりで見えるくらい。あまりジーッと見ているわけにもいかない。

なんとなくわかったのは、ひとつづつ部屋の扉があるわけではなく、一周ぐるりと部屋がつながっていることだった。ほとんど部屋を真っ暗くしていたので、おそらく一番広い部屋だとわかる場所にNは荷物を下ろした。

初めお客さまはどこにいるのかわからなかったが、バスルームの方から声がした。

Nは慌てて服を脱ぎ下着姿でバスルームを探した。

バスルームへ着くと、お客さまはバスタブに浸かりながらテレビを見ていた。

Nに入れという。Nは下着を脱ぎお客さまとバスタブに浸かった。前に来ていた女の子ともこんなことをしていたのだろうか。そんなことをNは考えながら、黙ってお客さまを見つめていた。

今回のお客さまは「お金持ちの貫禄」といったものはなく、50代前半ぐらいの小柄で痩せた方だった。

とはいえ、こんな高級ホテルのスイートルームで二人の女の子を呼んで遊んでいられるのだから、さぞかしいいご身分なのだろう。

でも、Nにとって「このお客さまは一体何が楽しいのだろう」そう考えるようになってきた。独り言の多い方で、テレビを見ながら何やら話をしていた。それがNに向けられた話ではないことに、少々つまらなさを感じていた。

時々Nは「私じゃつまらなかったかしら?」と思うくらい、お客は何も求めてくることはなかった。

その後、真っ暗の中ベッドルームへ案内されたが、Nが持ってきた道具は一切使わず、「遊び方」はいたって普通、という言葉が合っていたかもしれない。

ああ、お金持ちの方にたまにありがちな「本当の遊び方」を知らない人のようだ。すべてのお金持ちが「遊び上手」な訳ではないのだ。

Nの結論だった。こうやって、たまには外すこともある。

楽しみにしていた高級ホテルへの出張も暗闇の中であっけなく終わった。

それからというものNにとって、高級ホテルへ呼びたがるお客さまの時は残念なことが多かったために、あまり期待はしなくなっていった。

やっぱりいつもの安いラブホがいいんじゃないかしら。Nは思った。

夜の蝶Nの回顧録。(2)〜シュールな世界〜

今回のお客さまの話は風俗店が初めてだという方。

Nのいる五反田の風俗店へやってきた。Nが接客するお客さんはご新規さんが多い。

高級店に来るだけあって、やはり紳士的ではある。見た目は40代だろうか。お金にギラついた中高年のお客さんではなく、好青年といった感じだ。

N自身が36歳。実はサバよんで27歳でお店に出て接客をしている。それはよくある話だ。

まあ、Nが相手にするお客さんはこのいわゆる「高級店」へ来るのが大抵初めてという「新規」のお客さんを相手にすることが多いので、次へ来てもらえるようNは精一杯のことをお客さんの希望に合わせて丁寧に対応させていただくのがモットーだった。

もう一つNにはモットーがあった。それは高いお金をいただくのだから、楽しく遊んでいってもらうこと。お客さんの中には話すことが好きな方がわりと多かったように思う。

今回のお客さんもその一人だった。

ホテルの一室でお客さんとの会話が途切れ静まり返った時、そのお客さんは言った。

「シュールな世界だよね」

Nは、その言葉が印象的だった。シュールな世界……。

確かにそうかもしれない。一見華やかに感じるこの世界。いや、Nには華やかさなど感じない。なぜなら、お客さんは欲望を満たすために隠している性癖をこの場所で思いっきり吐き出して帰るからだ。何事もなかったかのように。また仕事に戻ったり、家族の元へと帰っていく。

隠された欲望だけがこの場所に残されていく。そんな世界を「シュールな世界」というのはまさに当てはまる言葉だと思う。

Nはこう答えた。「そうですね。でもシュールだなんて、他のお客さんはもちろん誰も考えていないでしょうね。どんな気持ちでここにきているのか。例えばお金を散財することで気分良くなっているのかもしれないし、やっぱり自分の欲望を叶えたい、性欲を満たしたい方が多い世界なのかもしれないし。欲望は人それぞれですよね」

なんだか話をしていて、ほっとする気持ちにさせてくれる方だった。欲望よりも思考が動き出す感じ。なかなかいないお客さんかもしれない。果たして、この方はまたこの店に来てくれたのだろうか。

Nは私がいない時に来たかもしれないし、もう2度と来ない可能性もあるなど少し気掛かりになっていた。

彼にとって、シュールな世界は気に入ってくれただろうか……。

夜の蝶Nの回顧録。(1)

前回、好評をいただいた「フィクションかもノンフィクションかもしれない話。」に続き新しいストーリーを書いてみたいと思います。

Nは私の遠い過去の私の分身とでも言っておきます。私はもう中年の女。こんな面白いお客さんもいたなって、思い出す時があるようです。

それでは、夜の裏の世界へあなたをご案内します。

夜の蝶の元へ今日も一人、若い男がやってきた。白ではないが、薄暗い店ではアイボリーの三揃いのスーツが異様に目立つ。年齢は20代・30代前半といったところだろうか。こんな若い男がなぜこんな高級店に出入りできるのか。しかも指名は毎回私だった。

私にとってはこんな若くて、しかも若い子にしては洒落た格好がよく似合っている、そんな子に毎回指名されるなんて光栄なことだったかもしれない。

彼はベッドに寝転んで、こんなことを言い出した。「現金一括でマンション買おうかと思う」「は?あはは。すごいこと言うね」「そうかな」そう彼は天井を見つめていた。「ねえ知ってる?マンションって、一括で買うよりも分割で買ったほうがお買い得なんだって」私は誰からか聞いたことを言ってみた。

でも、彼にしてみたら、お金があることを私に自慢したかったのかもしれない。余計なこと言ったかな。彼は黙って私を見ていた。そして急に私が手にしていたボディソープを見るなり「あ、自分だけ高いの使ってるの!?客は安物かよ」私はまた笑いながら「これ意外と安いんだよ。お客様用は結構高いんだから。自腹で買ってるんだからね」彼は眠そうだった。

三揃いのスーツがシワになるんじゃないかと気がかりだったが、相当疲れていたようだったのでそっとしてそのまま寝かせておいた。

ここは高級店だ。

若い子が出入りするのは珍しい。どう見ても年下で、少し生意気なところが可愛くもさえ思えた。他のお客様には敬語を使うが、彼だけにはタメ口だった。次から次へとやってくるお客を相手にしなければならない私にとって、ほんの安らぎだったかもしれない。