小説のようで実際あった話。

【2007年のアメブロ六本木日記】

今はわからないけど、アメブロって自分のブログを冊子にできるんですよね。ある仕事をしていて、で、私は2007年mixiをやめてアメブロ始めて、その頃の冊子が出てきたので、読んだら、今のブログとは全く違う。(当たり前か)ということで、書いてみた。

【よくある六本木の小さな物語】

それは1ヶ月ほど前の夜の出来事かな。コンビニで朝食の買い物をしていたんですね。バナナにヨーグルト、牛乳…そしてレジへ。隣にいた外国人の男性。いきなり私が買っていたものにツッコミを入れてきたんですよ。その日本語が私の笑いのツボにハマってね。どこでそんな会話覚えたの?ってくらい話が面白くって、私もつい乗ってしまったんです。ま、その外国人はそうやって多くの女性に話しかけているんでしょうけどね。そういった会話も、あの付近にいる日本人の若いお兄さんに教えてもらったんでしょう。私が手にしていた携帯に自分の番号を入れてきたんですよ。そして勝手に自分の携帯に電話して。私の番号がわかるでしょ。彼は「電話するけど、出なかったらまたどこかで会っても、もう話しかけたりしないから」そう言って別れたんです。私は電話に出ませんでした。つい先日、知り合いの男性とあるお店に行きました。彼はその飲食店で働いていました。あの時の彼ではありませんでした。私が一人ではなかったというのもあったかもしれないけど、彼があの時の彼とは全くの別人だったのが、私の心を複雑にさせました。私はそんな気分のまま店を出ました。きっとこの町ではよくある話……

【ワインレッドのスカート】

ヒルズから交差点に向かい途中で、後ろから声をかけられたんですね。ナンパ(笑)でもスカウト(笑)でもなんでもありません。マウンテンバイクに乗った爽やかなお兄さん。「そのスカート、どこのですか?」いきなりだったので、ん?あれ、これどこのだったっけ??と返答に困っていたら、「素材はなんですか?」真夏以外は履けるものだから…「ウールとレーヨン?だったかな…」と私。「いい色のスカートですね。あまりみない色だったんで思わず気になっちゃったんですよ。すみません」と爽やかに走り去っていったお兄さん。?服飾関係の人なのかしらん??私が素敵だなあと思う女性を見かける場所は、ヒルズの駐車場からエレベーターに上がる時かな。先日もマセラティから降りてきた素敵な中年ご夫婦。止めた場所が障害者専用……だった。惜しい。どうせならとことん美しくあって欲しかった。勝手な願望。

人の心に強く残る美しい文章。

『プラトン、

アリストテレス、

ソクラテス、

1000年前の文化、

哲学、

知恵はどうなってしまったというのだ?

小型飛行船からさらに爆弾が降ってくる。

気持ちを引き締めなければいけない。

共同墓地。

他に残された可能性はない。

すると桜の花に気づく。

そして自然は全く影響を受けていないことに気づく。

ポプラ並木、

赤い蝶々、

儚い花の美しさ、

太陽。

自然は全く意に介さないのを目の当たりにする。』

これは2016年にノーベル文学賞をとったボブ・ディランの文章なのですが、すみません、どこから引用したものかわからなくなってしまいました。

私がここに書いた理由として、「内容」「美しい言葉」端的な無駄のない「文章」に魅せられたのでここに書かせていただきました。

誰にでも理解出来、情景の浮かぶ内容です。だから心に沁みるのでしょう。

こんな文章、書けることを望んでいます。

動物と人間について。(お題5)

私は趣味でやっている雑俳・都々逸など、つい男女の情歌を書いてしまうんですね。

難しいお題ですね。

人間も動物にも「恋」という感情があります。恋って楽しいですよね。

恋している時間が一番楽しかったりします。「恋」に使命はないと思うのです。

つまり、子供をつくる使命、育てる使命。

動物にも「愛」があり、人間と同じ子供をつくり育てる使命があります。

動物に「恋」はないのかって言ったらそんなことないですよね。

自然の動物も、惚れたメスには命をかけて自分のものにしようとします。浮気だってしますよね。

人間にあって動物にはないもの。理性や道徳心でしょうか。

ですが、このような本もあります。

私も応募したことのある、開高健ノンフィクション賞。

本の帯にあるように、衝撃的。興味のある方はぜひどうぞ。

そして人はいけない、と思っても愛してしまう。男と女の悲しい性(さが)……。

あ〜、またこんなことを書いてしまいましたね。笑

このようなことばかり書いていると、そのような女性と思われてしまいそうなので、ここまで。失礼いたしました。

「色気」と「お色気」(お題番外編)

「色気」と「お色気」です。

女の私が書く「お色気」さてどう書きましょうか。

想像するお色気「昭和の肉感的な人妻」ですね。笑

「昭和のエロス」です。

アダルトビデオの「エロさ」はエンターテイメント性のお色気ですよね。

お色気って、古き良き昭和だと思いませんか?

ただ、肉感的と書きましたが、これは好みが分かれます。

そういえば、ある業界の関係者が「熟女は体型が崩れている方がいい」と大真面目に語っておりました。

世界的有名なドイツ人の写真家ヘルムートニュートンをご存知でしょうか。彼は、女性の裸体の写真を中心にとっている写真家でした。まさに「エロス」を表現した写真ばかりです。私は以前彼の写真が好きで、写真集を買い漁っていました。かなり刺激的な写真集です。

彼の撮る女性は足の長いいわゆる「スタイル美人」でした。

こんな話もあります。私が学生の時、バブルの頃六本木にスタイルが良くて、肌が白く美しい欧米の美人がポールダンスをする店がありました。友達と観に行きました。

美しい、とは思っていても「お色気」とはかけ離れていたものでした。

色々な「お色気」はありますが、今の私にとってお色気は「昭和のエロス」でしょう。

このようなことを書いてしまい、大変失礼いたしました。

番外編でした。

色気とは。(お題4)

色気について書く。仕草や立居振る舞い、所作などといったことは書かない。

「色気」は誰でも持っているものだ。

見方、感覚、センス(知性もあるかな)で、見る「色気」は決まると思っている。

「センス」というのは、内面から感じる表現の仕方。内面にある感覚である。

私……ですか?私のセンス?色気?

男性のセンスにほぼ自信あり。一度だけ失敗したからこんな表現。大きく出たね。

色気?それは見る人の内面の見方、感覚、センスだと思っているから、わからない。

こういう言い方するのは、自分が誰が見ても色気のある女性だったら、人生変わっていただろうな。と思うから。でも誰が見てもって、それってあり得ないと思う。

私のことを色気のある女性だな。と感じてくださるのなら、それはそれで光栄で、あまり嫌な気分はしない方。なんとも思わなければそれで問題ない。

でも、最初にも書いたけど、「色気」って誰でも持っていると思うんですよね。男性も女性も。本当に。

私は、いろんな人にそれを感じる。

前回書いた、ピアニストラン・ランもそうなのだが、私にとっては、胸を刺す色気のある男性だと思っている。

ただし!私は惚れっぽい人間なので、尊敬できる人や好意を持つ人は多いのだ。笑

色気についてはそのうち、また考えがまとまったら書こうと思う。

理想(溺愛)のピアニストについて。(お題3)

私は、クラシックについて詳しいわけではない。題名のように「ピアニストについて」だなんて、偉そうに語れたものではない。

けれども、今回お題を頂戴しましたので書きます。

ピアニストについての前に、自分について語ってしまうと、見た目は、ぽわ〜っとしている私だが、結構「内側」は「情熱的」なものが好きだったりする。自分を「情熱的」というのは恥ずかしいのでこのような言い方をした。

私はYouTubeでラン・ランを観たとき、ものすごい勢いで引き込まれた。

ラン・ランははっきり言ってしまえば、溺愛のピアニストだ。

芸術というものは、何一つ正しいだとか、間違っているだとか、そんなものはないと思っている。

多くのピアニストを知らないから、ラン・ランなのか。といったらそれは違うと思う。

たとえば、カラヤンしか知らなくても、カラヤンの何かに引き込まれたのなら、それはカラヤンしか知らないからだ。と誰もその人を責めることはできないはずだ。

ラン・ランの話に戻すと、彼の情熱たるラフマニノフは私の心を刺した。

カラカラなる鐘のような高音は、心の中をなぜか掻きむしる。

そう、ラン・ランのピアノは私の心を掻きむしるのだ。

激しい曲ばかりではない。美しくかつ弱々しく弾く部分も彼の曲への想いがどうしても私の心に何かを残す。

彼のピアノの音なのか。彼の人間性なのか。

それが「理想」というものじゃないのか。

私はラン・ランが一番といっているわけではない。

私の中の「理想」それがラン・ランで一番なのだ。

彼は、テクニックだけでなく、表現において最高のピアニストそしてパフォーマーだと思う。

同志である大切な人。

大切な人って、どんな思い出であっても、そんな人いませんか?

私にも大切な人います。誰かに話すことはないでしょう。

おそらく、歳とっても、死ぬまで忘れることのない人です。

思い出はすべて、私の中だけに存在しています。

その大切な人と思い出を分け合うこともしないと思います。

それはとても切ないことですが、それが現実なのです。

これからは糸の切れない、こころざしや主義を持った同志でいたい。

でも、恋ごころは消したくない。あの時繋いだ手が離れても。

喜びも悲しみも分かち合えた事実は、消えないように。

正常と異常について。(お題2)

前回のお題に続いて、2回目。

私は、正常と異常の間を行ったり来たりしている。いや、異常と言われたこともある。

そもそも、正常と異常とは何か考える。

正常とは、人が「普通の神経」をしていることか。では普通とは?

人がそれをみて「意識」しないこと。主体に対して「思考」を持たないことかな。

じゃあ、「思考」を持った時点で「異常」なのだろうか。いや「異常」ではないが、「普通」でなくなる可能性はある。正常だと思っていたのに「思考」が絡むと「普通」でない論点が出てくる。ちなみに「普通」と「正常」は違う。

たとえば駅のホームである女性が背を向けて立っている。

髪の長い女性。正面からの姿はわからない。コートを着ている。髪の長い女性はよくいる。コートを着ている女性も少なからずいる。

その女性は「正常」と思われる。なぜなら、誰もが彼女を意識したり、彼女に対し感情などもったりしないまま、後ろを通り過ぎてゆくからだ。

しかし、こんな光景を人が見たらどう思うだろう。

彼女が振り向いた時、彼女はコートの下は裸体を晒していた。

誰もが女性を意識し、人の思考は働き出し、考えはじめ、嫌悪感であったり興味といった感覚や感情が湧き出る。

その時女性は「異常」になるに違いない。

「正常と異常」の間には常に「思考」がついてくるのかもしれない。

「思考」が働くか働かないか。

ちなみに、私の考え方や行動は突拍子もないこともあり、若い頃は、思いついたら国内線や国際線の飛行機に乗っていたり、夜行バスはよく乗った。好きな土地へ行っていた。これらは全て好きな当時好きだった男性のため。突拍子もない仕事のために新幹線に乗り出稼ぎに行った。これらはよくあることだ。

だから「正常」なことかもしれない。

「肉」から連想するもの。(お題1)

私が「肉」で頭に浮かんでくる言葉。「肉感的」という言葉がありますが、私にとってこの言葉は人間につけられる言葉だけではなく、植物に対しても想像できます。

たとえばチューリップ。ぷっくりしていて、肉感的に感じませんか?

今回画像にしている、ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリはまさに豊満な女性です。

「肉感的」という言葉、この言葉は「肉体が豊満で性的な魅力があるさま」など指したりします。人によっては卑猥に感じる言葉かもしれません。

ですが私は「肉感的」という言葉が好きです。

体から連想する「肉」は体系的なものと重なり、あまりいい想像ができないかもしれません。

ですが私はこの「肉感的」という言葉から、「肉」は体の「美」の一部であると考えるのです。

美とエロティックを表す同類の言葉であると想像します。

肉感的。

「肉」を形容する言葉であって、肉を代名詞とする言葉が、まさに「美とエロティック」。どうでしょうか。

ちなみに、このお題は焼肉屋さんで出題されたお題です。

これは女性の美学について書いていますが、男性の場合また違うかもしれません。

どうですか。「肉」に対する美と醜。あなたはどちらでしょうか。

50女は考えるのだ。

私は50近い女だ。これからの生き方のために考える。

そろそろ自由にものを考え、好きなことをしてもいい歳かもしれない。

そのために、すべきこと。

まず、仕事以外の人間関係を大切にすることだと思う。

趣味をつくる。

やりたいことを学ぶ。

私は、20代の頃、資格を取りたくて仕方なかった。社労士に、通関士。いづれも人事や、輸出入の事務補佐などをしていたからだ。どちらも実現はしなかったが、今なら多少の自信はある。

とは言っても、私には一番やらなくてはならないことがあるので、無理だろう。

無理というのは、学ぶことへの限界を自分で決めてしまうことではない。

時間の限界。

そして決定的な問題は、気分に波がある精神疾患があること。

でも、50になったら

「動く前に諦めることをやめる」

「健康第一」

「何かを大切にする」

「興味のあることを学び続ける」

充実した日々を送りたい。これが何よりの願いかもしれない。