フィクションかもノンフィクションかもしれない話。(3)

「自分にはナンバー2が合ってるんだよ」

……?

「つまり、自分はリーダー格じゃなくてサブが合っているということ」

真面目な顔して言うこの人のこの言葉に、私はちょっと笑いそうになってしまった。自分で自分のこと、ナンバー2が合っているだなんて……。それにしてもこの人サブリーダーなんだ。

あの闇金融の集会から数日後、彼はまた私を誘ってきた。

「今夜空いてる?ちょっと帰りは遅くなるかもしれないけど、また一緒に来て欲しんだ」

もうジャンパーの苦しさは嫌だな。そう思いながらも、今度はなんだろうという興味が湧いてきた。

「いいですよ」そう言って私は夫に遅くなるとメールをした。

彼の車は、いわゆる「走り屋」仕様の車だった。マフラーの音が物凄い爆音をとどろかせていた。私はこの車に乗るのが少し恥ずかしかった。

今日はどこへ行くのだろう。車は恵比寿のマンションの前で止まった。

「あの車に乗り換えて」

また集金か??私は、大きなワンボックスカーに乗り換えた。彼はマンションへ入っていった。

しばらくすると、若いミニスカートを履いた今どきの女の子が彼とマンションから出てきて、後部座席に乗り込んできた。

誰?この女の子は??

何も喋らず、車を走らせた。5分から10分くらいだろうか、車は渋谷の住宅街で止まった。彼は何やら女の子に指示をしているかのようだった。

耳がダンボになる。なになに?何階の部屋番号?

「お客さんはインターホンを鳴らさないでって言っているから、ノックして。このお客さんの部屋は暗いから気をつけて入って」男は、女の子に話をしていた。

なるほど。私はなんとなく、この人たちがどんな仕事をしているのか、わかってきた。

デリバリーヘルスだ!この男、風俗嬢の送迎もしているんだ!私の勘は的中した。

Congratulations,Lang Lang.

ちょうどラン・ランのゴルドベルグを聴いていたら、このTweetが❤️

おめでとう、ラン・ラン🎉

上海のラン・ランミュージックワールドも完成して、おめでた続き。今後の活躍も楽しみです。

人を幸せにしたいのなら、凡人より変人(天才)を目指せ。

人を幸せにすることは自分も幸せになることです。

これをはき違えている人が実は多いのです。本当に他人に優しく、他人を思える人は別ですが、人を大切にできる人は自分も大切にできる人です。

変人(天才)と呼ばれたり思われる人というのは、その間に悩まされたりもします。変人は自分がどう思われたいかなど考えず、「どうすれば相手も傷つけずに問題がスムーズに解決するのか」考えるのです。

では、変人(天才)とはどんな人のことを言うのでしょうか。

何事に対しても前向きに、ひたむきに、一貫して自分を通すことのできる人です。一見自分勝手のように思いますが、変人こそが、この「人を幸せにすることができる人」であり、「他人を本当の意味で大切にできる人」なのです。私の頭の中にある変人はわがままな人のことを言っているのではありません。

その反対に凡人は、「物事に対して謙虚になってしまう人」「人にどう思われるかが気になってしまう人」「すぐ自分が悪いと思ってしまう人」です。「自分を大切にする心」は何より大切です。

「謙虚になること」と「前向きになること」は全く違うことは、皆さんにもわかることだと思います。ですが、謙虚になることで、「私はいい人」とどこかで思い込むのはちょっと違います。謙虚さは、相手をがっかりさせたりしているかもしれません。「自分は出来る!」と思うことが怖いと考えてしまうことはないでしょうか。

あなたは誰に遠慮していますか?

大切な人を守れますか?自己犠牲せずに……。

フィクションかもノンフィクションかもしれない話。(2)

闇金融のやりとりを見たことがある。今でこそ「オレオレ詐欺」だが、私が働いていた当時、今から10年以上前だろうか、当時は「闇金融」という言葉が流行っていた。

見たというより、やり取りの現場に行った。

いきなりこれだけじゃ何が何だかわからないと思う。ちなみに私は普通の専業主婦。私は闇金融にお世話になるようなことはもちろんしていない。

じゃあなんで、闇金融の仲間が集まる現場へ行ったのか。私が働いていた仕事場にいた男は、ごくごく普通のメガネをかけたサラリーマン風の男性だった。私はその男性と話す機会があり、ある日その男性の車に乗らせてもらう機会があった。

男性は、どこだかわからない団地へ一緒に連れて行った。

「ここで待ってて」

男性は車を降りると、団地の中へ姿を消した。何があるんだろう。何が何だかわからない私はとにかく彼を待つしかなかった。

しばらくすると、男性は戻ってきていきなりこんな話をし出した。

「おばあさんにお金を貸しているんだ。今日はその回収日。ちくしょう、1万5千円しか返してもらえなかった」

「……。」回収?

男性は続けた。「1万5千円しか返してもらえなくても、結局お金がないからまたウチからお金を借りるんだ。お得意さんだよ。お金を返してもらえない時は俺が払う時もある」

「おばあちゃんだから、話し相手にもなってる」

「……。」闇金だ。私は思った。

夕方のことだった。それからあたりはすっかり暗くなっていた。

「これから、会社の仲間で会うことになっているんだけど、一緒に来てくれないかな」

「え?」私は興味津々だった。闇金業者の集会??

「ただし、後ろの座席に隠れてて。見られたら半殺しだよ」

「は?」半殺し?何が何だかわからなくなった。もう引き返すことはできない。私は、後ろの座席に移った。

「それだけじゃだめ。これ被って」男からジャンパーを渡された。

「本当に見られないようにして。そしてこっちも見ないで」

私は、半殺しなんかになりたくないから必死になって後部座席で丸くなっていた。

「これからどこへ行くんだろう……」そう思いながら、揺られていた。

車が止まった。私の感だがどうやら駐車場のようだ。なるほど、駐車場に集まって、違う車に乗り込み話し合いをするらしい。

私は、さらに体を硬直させた。声が聞こえてきたからだ。こんなところで死んでたまるか。と思いつつ、恐怖というより、興味の方が強かった。どんな男たちがいるんだろう。どんなことを話しているのだろう。何人くらい?

そんなことを考えながら、丸くなっていたら疲れてきた。このまま車から降りて行こうか。いやいや、私はいいが(よくない)男性もおそらく危害が加えられるに違いない。

ジャンパーは息苦しくなり、早く解放されたくなった。

その後の男性は無口だった。

まさか、会社の同僚が闇金融の一味であるとは、誰が想像できるだろうか。

疲れ切った私も無口だった。

女心と秋の空。

好きなのに 憎いあいつ

好きなのに 口も聞きたくない

好きなのに 顔も見たくない

好きなのに 嫌いと言えたら

好きなのに 楽に思う

好きなのに 負けたくない

好きなのに 見せたくない愛情

好きなのに 愛憎の念が入り混じり

好きだから 憎からず思う

嫌いでも 結局一番好きなんだ

あ〜、もう嫌い!

女心と秋の空……

もがく思考。

頭の中は、何をどう書くかと言うことでいっぱいだ。

今回もこうやってブログを書いているけれども、おそらくろくなこと書かないかもしれない。でも、やっぱり一つ、私が抱える大切なことをここに書いておこうと思う。

私は、双極性障害だが、それを面と向かって「あなたは双極性障害ですよ」と言われたことはない。じゃあ何で知ったかというと、「薬」だ。私が精神を患い病院に通うようになった頃は、「お薬手帳」などと言うものはなかった。数年通うようになり、その手帳で、自分で薬の名前をネットで調べどのような病気のための薬で、副作用がある薬を飲んでいるのかわかるようになった。自分がどのような病気かも段々と分かってきてそれが確信となった。

テンションがものすごく上がると、急激に下がる。下がれば、ベッドから起き上がることはできない。上がれば、ほぼ寝ないで、原稿を書いていられる。このような簡単な表現で申し訳ないが、このような症状が続く。

でも私の悩みはこのような症状が続くために服用しなければならない「薬」にあった。

一日何種類もの薬を飲んでいた。それで症状が改善していったわけではなかった。合わなければ薬を変え、また体調が悪ければ、お願いして変えてもらう。それに対し、主治医から帰ってくる言葉は「マックスで出しているから、これ以上増やせない」だった。マックス?増やせない?薬を減らすことはできなかったのだろうか。私にはわからなかった。

現在の私は薬の減量治療をしている。かなり薬の量が減ったが、血液検査も良好。症状も穏やかだ。このような治療方法があるとは知らなかった。

知らないとは恐ろしいものだと思う。

告白、フィクションかノンフィクションか。

『たとえば三浦和義の事件などは、考えれば考えるほど面白い。あの事件に対していろいろ批判はありますけれど、面白いということにかけては全く文句なく面白い。殺人、セックス、暴力、どんでん返し、謎解き、追いかけ……エンタテインメントの全ての要素が見事にそろったナマのドラマが、目の前でリアルタイムで進行していき、それをテレビカメラを通してウォッチできる。面白さにおいてこれを凌駕できるフィクションがあるか、ノンフィクションがあるかといったら、ありません(立花隆「僕はこんな本を読んできた」より引用)』

私が最近読んでいる立花隆さんの本からの引用である。

懐かしい。何が懐かしいって、1980年代に世間を騒がせたこの事件のことか。この人物、三浦和義のことか。この人物のこの事件はまさにこちらの立花さんが話したこと、そのものだ。そしてこの内容は1986年のものであるから、さらにこのノンフィクションは続く。続きが知りたい方はウィキペディアで「ロス疑惑」を検索してみてください。

この人物は最後の最後まで、不可解な行動で話題をさらい疑惑として幕を閉じている。

私が懐かしかったのは、この事件でもあるが、この人物三浦和義だった。

数回会った。

何年ごろあったかはあえて伏せることにする。私が出会った当時三浦は芸能プロダクションに所属していた。

友人が同じ事務所で、三浦を私に紹介してきた。三浦が生活の場にしていたのは赤坂にあるシティホテルだった。初めて会ったときは、部屋にルームサービスを呼び、お寿司を食べた記憶がある。

ホテルの中での三浦はまるで自分に気づいてほしいとばかりに、人と会うと堂々としていた。三浦に会うのはそのホテルで、数回会っては食事をした。

初めて会った時、三浦は私の住んでいる場所を聞いてきた。答えると「僕のいたところ(留置所)から近かったんだね」そういって笑った。その姿が少し異様だった。

食事での話題は、三浦がプロデュースだったか、監督だったか、をする映画の話だった。

2回ほど会った時だっただろうか。私は自分(三浦)のアシスタントとして一緒に現場に来てくれないかとお願いされた。

初め食事をしながらは考えた私は、三浦がただの芸能人でしかないように思ってならなかった。

だが、この男の正体を誰も知らない。

私は数日考え、何されるかわからない恐怖と予感が頭をよぎるようになった。

もちろん話は断った。

映画は、女優のH・Aが主役だったと思う。確か完成もした。朧げにテレビで見た記憶がある。内容は覚えていない。

友人に様子を聞かれた。三浦から友人には映画のアシスタントの話はしないでくれと言われていたので、その話には触れなかった。

「ねぇ、あの男、絶対人殺してるよね?」

「え、そうだね……」紹介してきたのは彼女だったから、私は深くは答えなかった。

そもそも、私のような一般庶民にとって、芸能界というところは謎が多いから、深入りしない方がいい世界なのかもしれない。そう思った。

ましてや、殺人を犯しているかもしれないわけのわからない人のことなんて。

女はいくらでもいるだろう。私は、関わることを一切やめた。

この話、フィクションなのか、ノンフィクションなのか、どちらなのか……。

「恋」の詩歌。(七七七五 都々逸)

「恋」をテーマにした都々逸(七七七五)を五つ考えてみました。

批評、アドバイス受け付けます!

1 昼間のお風呂に 浸かっていると 何故だか 気だるい 恋疲れ

2 顔と顔とを 近づけながら 見つめた朝には 寝違える

3 待ってる背中に 近づくリズム あの音いつもの 彼の靴

4 ロングのあの時 会ったとしたら 確かな運命 指定席

5 無邪気に笑えた あの頃ふたり 幸せだったの いつのこと

以上です。

「神の左手」。

今回は、投稿100回目です。なので、内容を考えていたため、しばらくブログをお休みしていました。ですが、お題がまだ一つ残っていたので、それについて書こうと思います。左手についてです。

「神の左手」。

私は子供の頃この言葉を聞いた時、自分の左手になんとなく不思議な感じがいつもしていました。変なことを考える子供で、左手がなくなればいいのに、とか。なくなったらどうなるんだろうって。

だからと言って、左手に憎悪を感じていたわけではなく、むしろ左手は手のひらを上に向けているお釈迦様の「神の左手」の存在です。

私は子供の頃から学生の頃までピアノを習っていましたが、どうしても左に力が入ってしまうんですね。左の力が強いから、両手で弾いていると、右の音が聞こえづらいほどでした。ピアノの先生によく注意されたものです。

でも、私は自分の左手の強さが好きです。自分の中のいちばん強い部分。自分の中の「神の左手」です。

そして、私の「左側」にはいつも何故か大切な人が必ずいるんです。別に左手で手をつないでというわけではなく、恋人に限ったことではなく、「左側」にいてくれると、とても安心するわけです。

私はスピリチュアルに興味ある訳ではないのですか、本屋の丸善で最近このようなものを買いました。

ラピスラズリとローズクオーツ

偶然見かけたのですが、カンで、何か縁があるとピンときたのです。それまでまったく興味なかったのに。

ラピスラズリは日本名は「瑠璃」。素敵ですよね。私はローズクォーツよりラピスラズリの濃い青が好きで、これは左手に身につけています。

調子も良さそうです。

ただ、濃い色というのは、パワーも強いようで、身につける人を選ぶというのです。一生懸命に目標に向かい努力をしている人に、力を貸してくれるそうです。精神的な不安も取り除いてくれるとのこと。

結局、努力した人に力を与えてくれるのですね。

左手にしっかり持って目標を達成させたいと思います。

ラン バンダ

左手の話ではありませんが、私は花の写真を撮るのが大好きです。部屋にも自分で撮ったお気に入りの写真を飾っています。

このラン、素敵ですよね。濃い色が大好きなので、花屋で見た途端買いました。もちろん自然の花も大好きです。

ナルシシズムノススメ。

天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず

ナルシストは、人より誰よりも外見や知能やレベルが高いという。

そういえば、友達に「自分大好き!」と言っていた女の子がいた。でも本当に彼女はナルシストだったのでしょうか。

もしかしたら「マウントを取りたい」だけなのかもしれない。

私は自分に自信がないから、たまに自信が持てるものがあったりすると大切に思える。

学生の頃は自分の写真が好きではなかった。でも、その頃から撮られるために髪の毛を伸ばして、巻き髪にして、

そして最後には、最高の笑顔をつくる。

良く撮れた写真は、気に入った写真になる。私って、もしかして、かわいいじゃない??なんて思ってみる。

ほとんどの写真が「何この顔!?」と落胆する。現実を直視する。

当時はデジカメもスマホもないから、すぐに撮り直し効かない。

ナルシストも、加減はある。

私は、自分が大好き!とは言えないけれど、最近はこの肉のついた体型も、丸顔も、「なんだかいいかな」と最近少し思えるようになってきた。

水に写った自分に恋して水死しちゃうんじゃないんだから。

水面に自分をうつして、自分をよく考えてみたら、何かを受け入れられるかもしれない。

誰にでも、ナルシシズムはあるのかもしれないから。