たとえあなたが去って行っても。

このタイトル、松任谷由実の歌のタイトルです。

あなたならどうしたか

あなたならどう言ったか

迷った時は何処かで問いかけるわ

松任谷由実 ”たとえあなたが去って行っても” より

この部分の歌詞が私は好きでつい一人の時歌ってしまうことがあります。

なぜ今この歌なのか。

まさに、自分の中から溢れるものを生きてみたいから。

たとえあなたがいなくなったとしても。

進むべき自分の道に。

海原に航海の旅へ一人出る感じ。そこに幸せがあるかどうかわからないけど。

誰もがそんな時って来るんじゃないかな。旅立つ時が。

全てを捨ててもいいくらいに。

そして、たとえあなたが去って行っても。

よくある女の物語。

このタイトルはある女性が創作した都々逸(七・七・七・五調でうたわれる口語による定型詩)の作品の最後の七・五の部分をタイトルにさせていただきました。

私が現在書いている原稿は、まさにこのよくある女の物語を書いています。

どこにでもいそうな、どこにでもありそうな、女の生き様を書いています。

これから時々、この「よくある女の物語。」に私のその時の思いを都々逸と共にこのブログで書いていこうかどうか考え中です。

今回の作品です。

会えるものなら 飛び乗りたいの はやる心を おさえてる

都々逸作品のご感想、ご意見くださると幸いです。

覚悟を持って生きているか?!

人生または毎日の生活の中で、覚悟を持って生きていますか?

そんなこと考えて普段生きていないと思いますが、私は右か左かの分かれ道に遭遇したら、割と簡単に直感で選択する方だと思います。

というとかっこいいかもしれませんが、要は論理的に生きていないというか、なんとなく「こっちかな」と考えてしまう方なんです。

私ダメな人ですね〜。笑 

でも、そこにはその後の相当な覚悟があるわけなんです。

「覚悟」は過去にはなく、未来にあるものですよね。

未来は全て自分の手の中にあるんです。だから「覚悟」は大事。

ところであなたは、推測や思考で物事を計算して行動して、自分のミスで落ち込むタイプですか?

それとも「なんとなく」という根拠のない選択で選んでしまって、自分の「勘」すなわち「第六感」が働かなくて落ち込むタイプですか?

どちらを選んだとしても「覚悟の上での行動の選択方法」です。

では「覚悟」とは??

迷いを去り道理を悟ること

仏教用語

覚悟がなければ本当に決断したことにはなりません。私は選ばなかったことによって失敗はいくらでもしました。そのことによって反省はしたけど、人生への悔いは全く無いんです。

なんだか訳のわからない話のようで申し訳ありません。

覚悟があったからだと思います。つまり、未来があったから。

選択は(に限らず)偶然ではなく、必然なんだと思っています。

そうして今の自分がいる。

この先の自分の人生は、覚悟がなければ決断できない。そして動くこともできない。

誰のせいにもしたくない。反省は大切だけれでも、自分のせいにもしないこと。

自分を責めたり、迷いがある人は、「自分を手放す」ことをおすすめしたいです。

自分に執着しすぎないことは大切なことかもしれません。

覚悟が自分の未来を創るのです。

愛おしい君へ。

この2、3年。いや、もっとかな。私には大切にすべき人がたくさん出来ました。

精神的にも肉体的にも苦しかった日々を考えると、今が一番安定していて落ち着いているし、この世から消えたくなるくらいの孤独を味わった日々もあったけど、いまはいろんな方のお陰で幸せに生活している。

やっぱり、愛すべきは「人」なんだ。

私はいまつくづく思っている。

私の過去を知っても、応援してくれる人。

私のダメダメな文章をずっと見てきてくれた人。

どんな時にも相談に乗ってくれて支えてくれた人。

私のお願いを聞いて助けてくれた人。

私をデートに誘ってくれる素敵な人。

いつも「いいね」くれる人。

私を許してくれた人。

他にもいるけど、どんな人も、共通していて私の好きな紳士的で素敵な人ばかりだ。

言い方は良い悪いは別として、私の感情を表現すれば、「愛おしい方々」なのである。

だから、まとめて「愛おしい君へ」というタイトルにした。

ありがとう。

本当にありがとうございます。心から感謝します。

フィクションかもノンフィクションかもしれない話。(番外編)

六本木から引っ越した私。ワンルームマンションでも3年近く住めば意外と大荷物になった。

新しい部屋は段ボールの山。しかし、片付ける気にはならなかった。あの忙しい街から、静かな住宅街に移り、なんだか気が抜けた。

半年もほとんどの段ボールに手がつけられなかった。

ただ一つ、布から剥き出しになっていた30万円のジゥラルミンケースだけが当時の生活を思い出させた。

そうだ、15万円で買ったエルメスのバックはどこにしまったっけ。ドルチェ&ガッバーナの高かった財布は?

私は突然ダンボールをあさり出した。

私が頑張って働いたお金で買った大切なもの。

しかし、あるはずのそれらは、どこを探しても出てこなかった。あーっ。私は怒りより先に肩を落とした。

そうか。あの男が私の目を盗んで、ダンボールから持ち出したのだ。

私のクレジットカードを使い込んだあげく、最後は高級品を盗んでいくなんて……。怒りというより、呆れて私はボー然としてしまった。

でも、お気に入りのものたちだったので、残念でならなかった。

あの男、最後の最後までやってくれたよな。

私はいまだに、一生ものだと思っていたエルメスとドルチェ&ガッバーナが忘れられずにいる。

精神疾患は感染しません。

人は「多様性」だと言いつつ、弱者は自分にとって必要ないと切ってしまう。特に、心にネガティブなものを持っている人に対して。

自分は強いと思うことで楽しいのでしょうか。

(ちょっと言い方きついかなぁ〜。)

心に疾患を抱えた人を弱者とする人がいるかぎり、差別や偏見はなくならないのかもしれません。とても悲しいことです。

弱い人間を負として排除することが、プラスになる生き方になるのでしょうか。

精神疾患は感染しません。

もし「負(精神疾患)に引きずられる」と思うのなら、それはあなたの心が弱いからでしょう。

そもそも心の弱さは、誰もが持っていて、それを自分で認めるから人間は強くなるんだと私は思っています。

自分の弱さを認められない人、または悪意を向けてくる人は、何かしら脆さを抱えているのでしょう。可哀想な人かもしれません。

だからといって人に与えてしまった心の傷はそう簡単に癒すことができません。

ですが「心の傷」、ネガティブな感情は実は、傷ついた本人が作りあげた感情でもあります。

人は傷を負った分だけ、強くもなれるし、優しくもなれます。

これは誰にでも言えること。

変えるのは相手ではなく、自分なのです。

自己啓発本に頼るのも悪くはないのでしょうが、すべては自分の心に答えがあります。

私は相手が攻撃的な態度にでてきても「穏やかな心」を持っていたい。

かなり落ち込みもしますが。笑

人を傷付けてしまった時も、素直に謝れる心を持っていたいですよね。

私にとってはそれを「正しい答え」としています。

皆さんはいかがでしょうか。

男女の友情って成立する?

男女の友情って成立すると思いますか?

私はすると思っています。なぜなら、私には男性の友達が多いから。と言っても説得力ないですね。

私はどんなことでも男友達に打ち明けています。

どんなことって?親にも言えない過去とか、大失敗した恥ずかしいことなど。こんな話しても受け止めてくれる人は友達として好きになります。

一晩かけても語っていられるかも。だって、私にとって男友達は「共感するだけ」の相手ではないんですよ。

たとえば、相手が私にとって知らないことをたくさん知っていると「尊敬」になるのですが、女の子同士のように、それそれ分かる〜といった「共感するだけ」の関係は私は苦手です。すみません…(謝るとこ?)

考え方や行動の違う人間同士だと、刺激し合えるんですね。

でも誤解なさらないでほしいのは、女性でも「関心」持てる人はいるし、男友達でも「共感」できるところはたくさんあります。

ということで、私は男女の友情は成立すると思っているのです。

刺激し合える関係って、楽しいですよね。

たとえばこんな話。男女の関係があったとしても、私は友達になれると思っています。

いかがでしょうか。

幾つになっても築いていける楽しい男女の関係って、いいと思いませんか?

勝負の哲学。

将棋棋士の「ひふみん」さんでお馴染み、加藤一二三さんがある記事で、 

【勝負哲学に「もし負けたら」はない】

とおっしゃっている記事を見たのですが、

これ、どんな世界でも、どんな状況でもいい教訓になると思いませんか?

カッコいいですよね。私はこの言葉、どんな場面においても心にとどめておきたいと思ったのです。

仕事はもちろんのこと、私だったら「書くこと」において、『負けは考えない』から、原稿を提出することは、これから真っ向対決です。

そのためには「これでどうだ!」と先手必勝で行きます。

どんな場面でもそうありたい。

たとえば、一番わかりやすいのは勝負服、ですよね。負けは考えないで選ぶのです。自信に繋がります。

皆さんも「負けは考えない」のですよ!!

ですが、反省は必要です。

あ、これは「私の勝負哲学」になりそうです。

過去に怯えていたら何も書けないよね。

誰の心にも消せない傷や過ちがシミとなって残っている。それを教えてくれたのはあなたでした。(山口百恵みたい)それは私の心にもある。

だからといって、私はここで今、心の中の消せないシミが何なのか書くことが出来ない。

いずれ誰かが知ることになるんだろうな。

そしてブログに過去の傷を書くことで、少しでも誰かの心のシミが薄く消えていってくれたら、私がここに書く意味もあるのかな。

私は現在、過去を振り返って原稿を書いています。

それは、過去にいつまでもしがみついているのではなく、前に進みたいからです。

これを読んでくださっているかたにも、過去を飛び越えて、さらに前に進んでくれたらうれしいです。

これに気づかせてくれたあなたへ。ありがとう。

あなたは変人になれる?やっぱりカミングアウトは悪くない。

真面目な話。いや、私は真面目な話しかしていなかったような気がする。昔、小泉純一郎は変人と呼ばれていたけれど、それは褒め言葉、よい意味のようだった。

私変人になりたいなあ。変な人?変わった人?私精神病んでますし。ほぼ引きこもりで何かしら書いております。

それにしても「障害者も健常者も、マイノリティも風俗やっていようが、なんだろうが、みんな同じなんですよ!」って書いてあったブログを見て、そんな人が「私障害者です!〇〇クラブで働いています!ニートでした!」とかそのような話が面白いのだろうかって思ってた。

だから私はダイバーシティやインクルージョンを真面目に原稿を書いていた。それもつまらなかっただろうか??

80キロからの脱出、うつからの脱出、そんなこと、いくらでもありますねん。ちなみに私は80キロではありませんが、身長のせいか大きく見えるらしい。泣

でも、そのような話が「本」になっちゃうのですよ……。

真面目に厚生労働省のホームページ開いて、統計眺めて書いている私は悲しいと思ったことがある。だってそのような内容の方が本にならないんですもの。

と言うことで、私もしかしたらカミングアウトできれば、「キャラの確立」ができるわけなのですよ。「世の中」ではなくてこの狭いSNSという名の下にですね。変人になれるのですよ。

でも前回書いたように、無名の物書きがカミングアウトしたところで、面白くもなんともないのです。多分。

私は「愛」について語りたいなあ。

大切な人いるのに、気づいていただけないのですが。笑

ご迷惑な話ですよね。