Rhapsody in Blue

Rhapsody in Blue

私はこの名前も曲も好きである。「Bleu」が好きだから。現に今も聴きながらこの記事を書いている。

私がこの曲に出会ったのは小学生の頃、祖父が買ってきた「リチャード・クレーダーマン」のカセットテープで、彼の名作「渚のアデリーヌ」はもう有名な曲だが、私は何故か「ラプソデーインブルー」に惹かれた。

最近では、「のだめカンタービレ」で使われるようになって、ある意味代名詞になっているようだが、私はその方があまり聞いたこと、観たことがなくて、機会があったら観てみようと思う。

Rhapsody in blueは多くのピアニストが弾いているが、YouTubeで見た限り、いいと思うアーティストは「ユジャ・ワン」は彼女にお似合いの曲のような気がする。そしてもう一人、やはりこの方「レオナルド・バーンスタイン」自身が弾くRhapsody in Blue。さすが安定の演奏である。

この曲、弾く人によって所々違う。このblogではもうお馴染みのLang Langですが、この人の演奏は所々彼のテクニックが織り込まれている。これもこれでいいと思う。

演奏者ならではの音楽を比較することは楽しい。

私はこのRhapsody in BleuでCD3枚は持っていて、ラフマニノフのCDは5枚持っている。

美しい曲は、誰が弾いても美しい。必ず、泣かせてくれる山場がある。

ラプソディは「狂詩曲」。美しいだけが泣けるわけじゃない、のが私の持論。

ちなみにこうやってblogを書いていると、おそらく見ず知らずの方が、読んでくれているのは確かである。クラシック好きの方にこのクラシックに関して、興味を持ったり、好きでこのblogを読んでくれる人がいたら、最高だと思う。

また好きな曲があったら書きます。

プライベートな「仕事空間」。

雨の降る日は、私にとって嫌な日にもなったりします。女性にとってそのような話、よく聞きますね。人それぞれだけど、最近話した女性も雨の日はつらいと言っていました。

その時の気分によりますが、窓から見る雨や樹々の匂い、夜に見る濡れた石畳、それらは癒しも与えてくれます。

これはプライベートな仕事場でもあり落ち着く自分だけの「空間」。雨の日だからに限らず用がなければ、たいていここで原稿を書いています。要は、あまり人に見せる場所でもないかな、とか思ったり。

ものは置かないようにしています。机が物で溢れてしまうと、やる気が出なくなってしまうのです。

ちょっと前まで、花で溢れていた机も今はやっと落ち着きました。私にとって精神的なものもあり、インテリアや花を飾ることもそうだし、部屋の香りもそうだけれども「空間」というのはとても大事だと思っています。

間接照明は好き。自分が常にいる場所にあるものは、間接照明かな。

むかしよく行っていたお店で、六本木の東京ミッドタウンに「和」の雑貨や家具などを取り扱っていたTHE COVER NIPPONという店があ利ました(調べたらまだありました)。そこで私がものすごく気に入ったのは「和屏風」でパーテーションがわりになるから、当時すごく欲しかったのですが、周りにいいこと言われず諦めました。そこは特に家具もおいてあって見ていて飽きない店だったので、和雑貨などのインテリアがお好きな方はぜひ。ちなみに、私が買い物していたら、突然草なぎ剛さんが足早に入ってきて、店員さんに何か聞いていたかと思ったら、また足早に去って行きました。

何はともあれ、私はどうしても「屏風」が欲しかった!今でもそれに合う部屋に住めたら、また考えたいです。

それから、どうしても欲しくて買ってしまったゴールドのトランクです。トランクといっても、持ち運びのできるものではなくて、家に飾っておく重いものです。◯5万円で買いました(今なら絶対買わない)。

誤解されないよう伝えておくと、これらは全て私が働いたお金で買ったものです。

あまりにも高かったので、大事にしまってあります……。こんなもの買って!!と、周りには言われました。若かったなあ。

あと当時欲しかったのが、大きな金のブタの貯金箱。お金溜まりそうだったから。それに当時のマイブームが金(ゴールド)だったから。ブタ買えなかったからお金貯められなかったな(そんな理由かい)。今でもよく言われますが趣味が変わっているようです。

大きなブタでゴールドの貯金箱の置物を見た方は教えてくださると嬉しいです。

と私はもうものは増やしたくない主義に変わり、今必要なのはmoneyですね。この歳になると。近々また余裕ができたら、今度は投資のお勉強をしたいと思っています。

真夜中のたわいもない、眠れない時の話。

今日は、真夜中にブログを書いてみようと思う。読んでくださった方に、何か参考になることを書きたいといつも思っているのだが、だらだらになってしまった。すみません…

原稿を夢中で書いていたり、焦燥感の中で書いていると、眠れなくなる。それはよくある話かもしかもしれない。まさに今の私があそれであって、眠れないので、またまたLang Langのバッハやベートーヴェンを聴いて心を落ち着かせている。

そんな曲を聴きながら、思い出した。小学校の頃「エリーゼのために」は私にとって正直苦痛な曲だった。小学校もしくは、割とピアノ初心者が習うイメージがあるけど、私が習ったピアノの先生は「エリーゼのために」は子供には子供の良さ、大人が弾けばまた違う良さが出てきます。と教えてくださった。本当にその通りだと思う。好きになれなかった曲ではあるが、この歳になって、素敵な曲だったなあと素直に思う。まあLang Langが弾いていたから、というのはあると思う。

それにしてもまだ眠れない。

<そんな時落ち着かれる方法>

1、そんな時は、まず私は文章をとにかく書く。文章は短いセンテンスで、心にダイレクトに届く言葉選び。実は受け売りだけど、これって大事だと思う。

私はいろんな本、または雑誌、を読んで、閃いたことを忘れないうちにすぐにエバーノートに書く人。(でも、GmailやTwitterに連携させてしまったせいか、ものすごい量のノートになってしまった。消すに消せない。よっぽどの時間と無心になりたい時じゃないと消すに消せない)

でも、結局紙の方がはやい。とにかく、速攻で書くことが大切だ。すぐ忘れるから。

夜中にすることといったら、本だろうか。もちろん眠れない時に私は読んだりする。そのうちウトウトしてくる。かと思えば、目の前にある本が、目に付く。

先日、目の前にある本棚に本が美しく並ばないほどいろんなジャンルの本が増えてしまったので、古本屋へ売るために、もう読まないであろう本を袋に入れていった。

  • 小説(村上春樹著文庫本、紗倉まな最新本「春、死なん」etc.)
  • ノンフィクション(沢木耕太郎/ 佐野眞一「唐牛伝」/カラヤンなどが出てくる「巨匠の神話」etc.)
  • ビジネス書( 現在も発売している「コロナショック・サバイバル日本経済復興計画」etc.)
  • エッセイ本

他色々あったけど、忘れてしまった。

意外?だったのは、紗倉まなの文学的小説で、あまり高値では売買されていないようだった。私はさっと読んですぐに売ったので、状態は新品同様。でもあまり高値はつきませんでした。

など、処分したのだが、この中で一番売れたのは「佐野真一著 唐牛伝」だった。単行本で、本の状態も良かったからかもしれない。面白かったから、売るのに迷ったけど、結局売った。ビジネス書は、落合陽一あたりはちょっと高めだったような気がする。確か。

本を売ると、また本が見たくなり、丸善へ。最近、買う買わないに限らずビジネス書はチェックしている。「思考」と名のつく本は多い。それから「アート」。ものすごく分厚い本で、2,800円の本がたしか2冊あった。「独学」と「365人の仕事の教科書」だったかな、とにかく分厚いけど、ビジネス書も意外と日常にヒントをくれたりするので、最近見ている。

それから、「東大思考」という本。買ってはいないが、たしかダイヤモンド・オンラインで読んだ記事に書いてあったのは、東大に入ろうとしている人は参考書買わないらしい。小学校で学んだことを応用させるという。世界史なんて、たとえば17世紀だったらその頃の時代をおおよそ頭に入れれば、高校の教科書で勉強するだけで十分だそうだ。なるほど〜、とちょっと納得。その記事では面白そうだったが、本を買うまで行かなかった。

と、だらだら夜中に書きました。

眠れない夜の時、人は何をして深夜を過ごすのか。深夜を充実させる本。あ、なんかそんな本はどうだろうか。笑 

真夜中に文章を書くと、興奮とその後の睡魔で、読み返すため、今の時間の公開となってしまった。

そうこうしている内に朝になってしまった。

浜崎あゆみに見るパーソナルブランディング術。

一昔前、私が中学・高校生の頃でしょうか。その頃、ブランディング(当時その言葉があったのかわかりませんが)を実践していたのは「松田聖子」さんでないかと思います。

ですが、この「浜崎あゆみ」さんは私と同じ年代、40代で日本のエンターテイメント界では、影響力のある女性だと思います。実は昔から彼女に興味がありました。私は民放テレビは数年見ていないので、彼女がテレビで歌っている姿はここ何年も観ていません。コンサートでの姿をネットで観たくらいでしょうか。でも曲はある程度知っています。

ブランディングは影響力に尽きる。ブランディングは常に感情面と切り離せない。可愛くありたい。綺麗でありたい。格好よくありたい。そして唯一無二の存在でありたい。それは彼女の歌、歌詞、スタイルにすべて現れている。

さて、本題に入ります。彼女は歌、ファッション、「浜崎あゆみ」本人すべてにおいて、ターゲットを絞りブランディングで成功させた日本のショービジネスの世界において有名な一人ではないでしょうか。

最近いつだか、ノンフィクション作家小松成美さん(数多くの著名人のルポタージュを書いています)が書いた本が売れ、そのドラマが放送されたようですが、それも彼女のブランディング力が功を奏しています。逆にいえば、顧客は彼女に対する価値に理解を深めようとするから、彼女にブランディング力があるのですね。

それにしても、この本とドラマに関しては、「浜崎あゆみ」のためといいますか、それはavexという企業のためでもあるようです(ここにもビジネスの裏事情があるようですが)。

そして、最近セレブ「浜崎あゆみ」が驚かせたのは、「舞台で歌い踊る彼女が、40にして子供を出産、さらに続けて第二子を妊娠」したこと。彼女は事務所のavexを支え、アメリカには豪邸と日本の芸能界にしては、セレブ「浜崎あゆみ」なのです。そんなセレブ「浜崎あゆみ」が手に入れていなかったもの、それは「子供」だったのでしょう。40にして二人、しかも年子の子供を作るというのは、一般の家庭では、まず「年齢的」なこと、そして「経済的」なことなどと容易に考えられることではありません。

彼女を多くの人が支えているのでしょう。

それもこれも彼女のブランディングによって、他を寄せ付けない、唯一無二の存在でありたい自分、ブランディングと言いましたが、彼女の「願い」でもあるのではと思います。

では、続いてブランディングとして大切なポジショニングについて考えます。ポジショニングはマーケットの人の心に自分の居場所を確保することです。彼女のポジションは「歌詞」ではないでしょうか。そこには、一貫性があり「自分の思いを書いた歌詞」により、多くの彼女のファンの心に存在しているといえます。

そして、彼女の創造性を創り出している「コンサート」での、ユニークな演出、華やかな衣装やバックダンサーとの演出が彼女のポジショニングと言えるのかもしれません。これはより強力なポジションに向けた戦略です。

いまだ誰も挑戦したことのない、彼女の挑戦が成功へと導いたと思います。

ここで付け加えたいのは彼女が「感情面でアピール」をしているのは、先ほども話をした「歌詞」ですが、もう一つ、SNSです。ビジュアルを大事にしている「浜崎あゆみ」ならではのInstagramは更新する度にちょっとした話題になっています。

浜崎あゆみのセンスは嫌いではないので、もうちょっとInstagramもアート的なものもあってもいいかなと思います。私ごとでした。

顧客の反応で、「浜崎あゆみ」の明確なポジショニングは価値の明確化となり理解を深めてくれるのがブランディングの一つになります。

やはり、顧客あっての彼女であることに違いありません。

わかっていただけましたでしょうか。ブランディングです。私もまだわかっていません。笑 

なので、彼女を題材に少し簡単に考えてみました。この一人の女性を書いていると、彼女のデビューから現在までのことを語ることにもなると思うので、ここで書くと、本になるまで書けるかわかりませんが、何ページも書いてしまいそうなので、まずはここまで。(太文字にしたところは、ブランティングのキーにある言葉です)

ありがとうございました。

小休止、あなたを癒してあげたい。

バッハ 前奏曲ハ長調 BWV 846 LANG LANG

今、あなたが音楽が聴ける環境にあるのなら、この美しい曲を聴きながら、癒されてくれたら嬉しい。

ピアノの「旧約聖書」とも言われるほど鍵盤楽器奏者にとって重要なバッハによる作品集の第1曲です。

流れるような曲を聴きながら、私の駄文をお読みください。

私が物心ついた頃から、いつもそばにはピアノの存在がありました。

明治生まれの祖母がまだ生きていた頃、家でのピアノの指導はいつも祖母がしてくれていました。

祖母は山口県の有名な女学校で、外国人の先生にピアノを習っていました。そのためか、ピアノは90歳近くまで楽譜なしで弾いていました。

私にはそれがなんの曲なのかわからなかったし、祖母に聞いたとしても、おそらく祖母も曲名も何かもわからないままに、弾いていたかもしれません。

そんな祖母が亡くなり、私も実家を出て、誰も触ることのなくなったピアノは、両親が家を引き払うこととなったと同時に、ピアノも売りに出されました。

私はとてもショックだったのを覚えています。でも祖母がいなくなって、ピアノを弾けるのが唯一私でしたので、家に居なくなった私には誰を責めることはできませんでした。

現在(いま)大事なピアノは、美しい音色とともにそばにいます。

多くの美しい曲を新たに教えてくれたあなたに感謝して。

どうせなら100%にするための技法。

私はいちおう文章を書いているが、タイトルに「文章」の文字はあえて入れませんでした。これから話すことは、一つのことに限らず、多くのことに当てはまると思うから。

それは何か。

文章についてや、他ジャンルの人たちからパフォーマンスを100%の出来にしている技法を考えてみた。

100%のパフォーマンスを出すために、共通していることがある。もしくは共通させることができる言葉がある。それは「美しさ」だ。見た目だけの「美しさ」ではない。じゃあ、美人や美男子。といった話ではないのですが。

その「美しさ」とは最高峰の人が最高に厳しい複雑な状況にいるときに必要とする直感であり、そこに「美しさ」を見出せるかどうかである(この内容に関しては、また後日書きます。わたしもテーマにしたいので)。

まず、フィギアスケートの選手。羽生結弦選手である。

たった一人でリンクの中で滑る姿は、美しくもあるが、アスリートそのものの姿がある。

それと、リンクでの究極な精神状態と思考の中、それこそ考える「美しさ」を備えて滑る姿は楽しんで滑っている。「楽しんで滑って」の意味は、「競技」ではなく「自分を創り上げること」である。

つまり、誰かに負けないために競うのではなく、自分の向上心のためにたたかっている、ということだ。

世界選手権2021の時の羽生結弦選手

そう、わたしは羽生結弦選手を見るたび思っていたのは、「滑ること」すべてを自分のものにし、「喜び」でいるということ。それは見られることの快感だと思う。創造することを楽しむことができる、ワクワクすることができるそのような人ではないだろうか。それは才能もあるのかもしれないし、自分に限界を作るわけではなく、自由に自分を高められる人。アスリートにして、アーティスト。

どんなに練習しても舞台では100%の出来にするのが難しそうなフィギアスケート。先日、世界選手権2021が行われていたが、選手たちは優雅に滑っているけれどもアスリートとしてかなり鍛えて大会に臨んでいる。なのに、100%の結果が出るかといったら、わからない。たとえ100%の練習を積んできても、力を出していても、思うような結果が出ないなど本人たちにしてみたら結局結果が全てなので、相当な精神的にも耐えられるよう鍛えているのだろう。

ちなみに、(わたしの好きなピアニスト)Lang Lang(いやランラン に限らず)だったら、今日の演奏は最高だった、とか、いつも演奏は完璧な出来、つまり100%の出来にしなければ、それは世界的ピアニストと称されないのかもしれない。自分のパフォーマンスのために常にウォームアップさせているのだろう。いや、させているのをSNSで見た。

またもや世界的中国人ピアニストラン・ラン

「自分はそれだけの練習をしてきたのだから」と物事に取り組むことは、最高峰にいる人には必須である、と言い切れる。

わたしは自分の書いてきた過去のブログを読めば、ただの記録でしかなく、誰が読むわけでもないと思って書いていたので、「ただのメモ書き」のようなものだった。書いたものを読んでいると、今まで書いてきた中で、お気に入りの記事はまだない。強いていえば、LangLangのことを書いた投稿ぐらいだろうか?すみません個人的な好みで。クラシック好きな方ぜひご覧ください。それにしても、あの投稿の内容すら中途半端に終わらせてしまっている。

話はさておき、

まずは、文章って「100%の出来!自分の文章って完璧。自分の文章いいよね。」って思う人はどのくらいいるのだろうか。

本のジャンルにもよるのかもしれないが、やはりいい文章といえば小説。わたしは昔「美しい比喩表現」を考えたりしたことがある。

わたしは「文章とは”芸術”だ」と思っていて、「比喩表現」といえばもう、高度な芸術の技能とさえ思う。この「比喩表現」を巧みに使う、「凄い文章界の芸術作家(わたしがそう称している)」といえば、たくさんの作品や人名が出てくる。わたしに文章の比喩的表現を指導してくださった方がいた。その方は、吉本ばななを絶賛していた。それから、やはりネットでもよく目にするのは村上春樹で、比喩表現を巧みに扱う作家である。

これはもう、センスの趣味趣向(書き手にも読み手にも)もあるから、もしかしたら、村上春樹もセンスをアップデートさせたら、その時は今度こそノーベル文学賞ものかもしれないと、最後は勝手に考えてみた。

ところで、日本は国をあげて、国民に芸術を身近なものとして、親しんでもらうために、コンサートやイベントをもっと大々的にやってほしいと思う。もちろん、心からのコロナの収束を願っての話だ。

わたしも、もっと思考を深めて おもしろいこと考え、書きたいと思う。それには学習はしなければいけない。

今日は「休日」ですが、いまだに私のブログのジャンルが見えてこないですね……。何かご意見等ございましたらコメントください。

今回もお付き合いくださりありがとうございました。

愛だの恋だの、について。

恋愛は 現実逃避 錯覚し(川柳、自作)

誰かを好きになる、でも、現実逃避が悪いわけじゃないとも思いませんか?ほんの一瞬でも、ときめいたこと、心奪われたこと、あった記憶はないですか?私は現実逃避しまくって、地に足がついていないことが遠い昔しょっちゅうありました。

その結果、現実を知れば辛いこと、泣きたいこと、またもや逃げ出したいことが次から次へと襲ってきました。いま思えば醜態を晒して生きてきたのだから。その「愛だの恋だの」を乗り越えた末に見えたものがありました。

愛情から友情になったり同志になったり。そんな話はよく聞きます。でもそれが一番いい関係が作れたりして。そんな関係でいられたら、それはそれでいいですよね。

人に恋をするってどういうことだと思いますか?

どうして人は、誰かを好きになるのでしょう。

誰かを好きになるということは、その人が「違うどこかの世界へ連れて行ってくれる」と思い込むことだと思っています。

私は。

「今の私と違う私にしてくれる」もしくは「この人は、私の知らない世界を見せてくれる」って思ってしまうのかもしれません。例えば、身近な人はもちろん、違う世界のあったこともない人だったり。尊敬の念がいつからか恋心に変わっていたり。そんなこともないでしょうか。

ちなみにわたしは、都々逸と言って七七七五の定型詩を作っています。ある本から引っ張り出してきた都々逸を三つ、ご紹介します。わたしが好きな作品ばかりです。

きのう別れてきょう逢うまでが 恋の二人にゃ久しぶり

花の命は咲かぬも咲くもあなたまかせの恋模様

惚れて惚れられ惚れられて惚れて 惚れて惚れられたことがない

どうでしょう。俳句や短歌も風流ですが、都々逸って独特な言い回しの中に、男と女の恋愛沙汰が粋に情歌として描かれていています。もちろん作品としては、そればかりではないのですが、今回は「恋だの愛だの」というタイトルなので。

先ほども書きましたが、私は常に「尊敬の気持ち」を大事にしているつもりです。それは、「愛とか恋とか」思うこともありますが、そこで気持ちだけが暴走しないように、気をつけたいです。私のまわりには「尊敬できる方」が多いので、困ります……。笑

いくつになっても夢を大切にする人。

60・70・80歳になっても、夢を持つこと。ちなみにサステナブル 、ももちろん大切ですが……。夢を持たなければ、サステナブル もただの理想でしかならないのかもしれません。

数年前、ある福祉事業所にいる時に、お世話になったインストラクターの方から久しぶりに、少しお話を伺うことができました。

50歳の時に、残り10年何をするか考える、と言う研修があったそうですが、その時のお話をこうお話しされたのです。

『3日間の研修でそのことだけを考えて出した結論が、私が今までに得たものを使って世の中に役立つことをやろうと。それと同時に、少し大げさな言い方になりますが、私の名前を世の中に残せたら幸せだろうということも考えました。当時の記録を見ると「本を出したい」というようなことも書いてあります。 そこからはどうしたらそんなことが出来るか色々調べました。社内にはハヤブサのような宇宙機を作っている人のように最先端の技術に携わている人がたくさんいて、そのような仕事をしている人ならそのままそれをまとめれば本が書けます。しかし、私の仕事は既に コモディティになってしまったコンピュータでしたのでそれも難しいです。そんな状況で見つけたので、若い人を教える仕事でした。最先端が無理なら底辺を狙えかな。私は昔から人にものを教える仕事は向いてないと思っていて教職過程も全く取っていません。こんなことならマスタかドクター等、もう少し上まで行って置けばよかった今では思っています。 話が脱線してしまいましたが、「自分の力を世の中に役立てたい」でしょうか。』

とても素敵なお話しを聞くことができました。実際、この方は、ご自身の名前が出ている本を出しています。ネットで調べると、ちゃんと名前が出てきます。

夢見ている通りの人生が送れるかどうかなんてもちろんわかりません。柔軟な考え方とはどんなものごとにおいても必要になります。そこで夢を持っている人というのは、たとえ夢見ていたことと現実が違っていても、受け入れることができるのです。なぜでしょうか。

自分の将来を見据えることができるのは、独自の視点で柔軟な発想ができるからで、そのような人はまた次へと思考と行動を変えることができるのです。

いくつになっても、夢を見て、それに向けて実行していける人でありたいです。

LangLangの幸せにするパフォーマンスの考察。

前回の「オタク化しそうな人。」でのピアニストLangLangのゲーマー説、これより深いものに気づきました。

下にさ、LangLangのラフマニノフの動画を貼り付けました。これを観てみていただけると、彼がどんな人かちょっとわかります。笑

ちなみに、LangLangを知っている方、もしくは、全くクラシックに興味ない方、は観なくても大丈夫です。もちろん、読んでいただけるだけでもありがたいです。

さて、またまた考えたのですが、LangLangは以下の傾向が強いことを考えたのです。

彼の演奏する姿を観て「たくさんのドーパミン」が出ていることに気づきました。

とはいえ、わたしは心のことなら少しわかるのですが、脳の方は詳しい知識はありません。あくまでも私が感じ考えたことです。

ピアノを弾くことで、彼は脳から出る神経伝達物質のドーパミンがたくさん出ているのではないでしょうか。彼のパフォーマンスを観ることで、興奮し、気持ちを幸せにさせ、ポジティブにさせ、意欲的になる一連の動きがあるのかもしれません。これはドーパミンの特徴だそうです。

ただし、「この彼に対して好意的でない感情」がある場合、クラシックに興味ないなど、そのような場合この動画は合わないと思います。「ドーパミン」は共有できるものなのでしょうか。それは分かりませんが。

ということは、LangLang自身演奏している時は幸せに尽きるのでしょう。それは、この動画に限らず他の曲でもわたしの考える「ドーパミン」傾向が見られました。例えば、彼が特別なものとしている「ベートーヴェン」の曲でもそのような姿が見られました。彼がYouTubeでとても好きだと言っていた、ピアノソナタ23番「熱情」やピアノ協奏曲第5番「皇帝」の彼の表情に笑顔が見られまます。「熱情」はわたしも大好きな曲なのですが、笑顔とあの曲のイメージとピアノの弾き方に違和感感じました。でも、彼にはピアノを弾くことで得るものは最高の興奮と快感なのではないかとも思いました。

わたしが知らないだけで、このようなアーティストは多いのかもしれません。

つまり、オーバーアクションも彼がピアニストとしてのモチベーションを保つためのものなのかもしれません。とはいえ、クラシックは芸術であって、感じ方は人それぞれなのです。LangLangが受けつけられない人がいて当然だと思います。

わたしも何故ここまでピアニストに関し一生懸命考えたのか分かりませんが。笑 わたし自身は、彼のオーバーアクションに惹かれるものがあったのかもしれません。

と、最後にこれを書いているわたしも好きなクラシック、特にピアノに関して書いているいまこの時も幸せを感じます。ですが、ピアノと違い、文章を書くことは最終的にわたしの苦手とする推敲があるので、快感で終わらせることができないのが、芸術と違うところなのでしょうか……。

いえ、実は文章もそうですが、会社の経営に、芸術の美意識が必要と言っている本もあります。

今回のLangLangに関してわたしが考えたことに、何かございましたらぜひ教えていただけると幸いです。

それはいずれまた。長くなり失礼しました!

オタク化しそうな人。

「好きだからって、買いすぎじゃね?」って感じですよね。笑 一気に全部LangLang買いました。クラシックは好きでしょうか。

「好き」から入りましたが、いまはハマっているというより研究材料のようなところがあります。彼の演奏、パフォーマンスをオーバーアクションが駄目と言っている人、何かで見ました。そこに対して彼への好みも分かれるところもあるみたいです。

わたしですか?LangLang好きですよ。でも彼のことはつい最近まで知らなくて、映画「のだめカンタービレ」のピアノの吹き替えをしていたことも知らなかったから、世界的ピアニストであったことも知りませんでした。わたしは少しクラシックから遠ざかっていたのもあります。

最近こうしてCDを買いあさり、YouTubeを見まくることで、わたしは感じたことがあります。

それは彼にとって、ピアノは「ゲーム🎮🕹でもあるのではないかということ。

いますよね、こういう子供というかゲーマー?ゲーム操作が妙に速くて、ミスしなくてどんな難関もクリアしていて、常に誰よりも点数稼ぐ人……。そう、ピアノはゲーム。

わたしはここで悪いことを書くつもりはなく、つまりLangLangの演奏テクニックはすばらしく完璧。表現については……わたしはあまり語れませんが、完璧なんじゃないでしょうか。それはやはり「ゲーマー」として。まだ、研究不足です。

そして、先ほどの彼のアクションについてですが、これが世界のLangLangとするなら、わたしはとても良いと思います。ピアニストは上品で美しいというイメージ(わたしの)は覆されて、「彼が夢中になっているゲームの画面を見ている」よりも、「彼のゲームをしている指先を見ていたい」そんな感覚です。

わたしのお伝えしたいこと、わかりますでしょうか。

現在LangLangは38歳だそうです。まだ若いです。伸びしろはまだもちろんあるのではないでしょうか。でないと、ゲームも飽きてしまいますよね。

マニアックな話もここまでにしないと、わたしのブログも文章も飽きられますね。お付き合いくださりありがとうございます。また、研究します。飽きずに見てくださいね。