雨の銀座。

画像は昨年のちょうど今頃の画像。

そして、今日みどりの日も銀座は雨。

去年、初めて緊急事態宣言が出たときは、ほとんど人もクルマも見なかった。私が銀座にいたのは、かかりつけの病院に行くためだった。

あのときクルマから見た光景は「こんなにコロナは恐ろしいものなのか」と、なんだかいつもの銀座なのに違う世界に来たような緊張感が少しあったと思う。

けど、そんな心配もだんだんと消えいき、3回目の緊急事態宣言が出た翌日の銀座は、それなりに人がいた。

今日は自宅にいるので、今の銀座がどうなっているのかはわからないが、家の外もいつもの休日と変わらず人の声もするし、バスもクルマもそれなりに通っている。あの頃の緊張感はほとんどないように見える。

家にいるときはピアノの練習をしている、と言えれば格好いいけど。

おぼつかない手で練習するバッハ メヌエット

練習時間がなかなか取れない!というのは言い訳だと思う。少しの時間でもいいから毎日できるといいですよね。

練習しているといつも思う。あれだけ弾けていたピアノも、大人になりブランクがあれば、まったく弾けなくなるのかと。こうなったら、バッハのメヌエットも、超絶した技巧で弾けるようにする!いや、しようかなあ……。

電子ピアノで、音声を出そうと思えばできるのですが、今回はあまりにもお粗末な演奏のために、音は繋げずに画像だけ。すみません……

真夜中に完成したこと。

真夜中やけに左腕が痛い。

昼間、数時間出掛けたほかは、朝から晩までほぼ1日中ブログというか、サイト作りに時間を費やしてしまった。

おかげで私の大事な左腕が痛い。

でも!なんというか、私の思っていた通りのブログの形が完成した……けど?肝心なサイトはというと、残念ながらいいものが今回は作れなかった。また時間のある時に作ることにする。

WordPressに手こずってしまった。どうにか自分の好みの写真でホームページを作りたいと思っている。わかりやすくて簡単にできる方法はないだろうか。

学習しなきゃダメかな。

それとも、プロにお願いしようか迷ってしまった。というものの、ホームページは大切な商売道具になりそうだからだ。

ブログは誰でも作れそうなものが1日もかかってしまった。ちょっとしたこだわりがあったので。なんてことはないけれど。

でも、私には嬉しくて、こんなことをブログに書いて喜んでいる。喜びついでに飾っている花の写真をアイキャッチ画像(覚えた)に設定する。

真夜中のブログはこんなことの報告でした……

親が導く子供の居場所。

好きなことは何?好きなものは?

3歳の頃(記憶が曖昧)だろうか、兄が通っていたピアノ教室に一緒について行った。それから私はピアノを習い始めた。母親は自分が弾けないから私に弾かせたかった、とよく言っていた。その頃の私も決して苦痛ではなかったはずだ。ただ、正直言えば、環境はあまり良くなかった。というのも、私は従姉妹とよく比べられていたからだ。

ピアノを習わせたいと思っている親御さんがいたら、一応ピアノを習っていた身として思うのはやっぱり「環境は大事」ということ。

それから、やっぱりその子にとって、「ピアノの存在がどのくらいの比重を占めるのか」。というと、なんだかわかりづらい。つらくても続けられるのか。どんなことでも「痛み」はある。

私の話をさせていただくと、私は音楽大学を出ているわけでもなければ、どれだけ一生懸命やっていたわけでもない。17歳くらいの頃、一般の大学を受けるためにピアノを辞めた。ピアノの先生は私を引き留めた。

今思うと、残念だったのは、母親はあくまで「私の意思とは別に」趣味として私にピアノを習わせたかっただけであって、プロを目指そうとさせていたわけではなかった。熱心ではなかった。だからやめることに親は引き留めたりしなかった。と言っても、別に親を恨んでいるわけではない。この頃の私も「趣味で習っていたピアノ」だったからか、練習もそこそこ、通うことすら苦痛のときもあったからだ。

でも、大人になり、あの時ピアノを続けていたらどうなっていたのか、最近考える。

というのも、今またピアノを練習し出したからだ。

一度は弾いてみたいスタインウェイ&サンズ

一つだけ思うのは、「どうせやるのなら楽しくやりたい。つらくても好きなら続けられるはずだし、自分の居場所がそこであると思ってピアノを弾くことができるのなら、続けても良かったんじゃないか」って。

「努力は報われる」と思って苦痛なピアノを弾くのははっきり言えば間違っているのかもしれない。

努力することが悪いわけではない。大切なのは「自分の居場所」を作ることではないか。

居場所が違うのに、いつまでもその場所でコツコツ努力したところで、思う結果は出てこないだろう。これはあくまで受け売りだが、その通りだと思うので、ここに書くことにした。「モーツアルトと同じように練習したから、モーツアルトのようになれる」わけではない。

私は、大人になってまたピアノを習いたくなって、練習している。大人になってから習い出しても、もう子供の頃に弾いた曲は弾けなくなっていた。実際ピアノを触ってみて、愕然としたことだった。その時はじめて、17歳で辞めてしまったことに後悔した。

その子が何をやりたいと思うのか、は大切だと思うけれども、「それ」をさせるには、周囲も努力する覚悟がないと、子供のやる気を見つけることはできないと思う。

周囲の人がどれだけその子のことを見ているか、わかっているのか「子供を導いてあげられるか」かもしれない。

だがそれは「親の使命」とは限らない。使命や義務だと思ったら、おそらく親も子も苦痛で共倒れだろう。一昔前にステージママという言葉が流行ったような気がする。子供にとって、そのような母親がいいのかどうかは、知り合いにいないのでわからないが、先に言った「周囲の環境は大事」ということだ。

周囲の環境とはどんな環境だろうか。正直なところ、「ピアノを好きになってもらえる環境」とはどんな環境かわからない。ピアノを本格的にやっている親だったり、家族がいるならまた話が別かもしれない。ピアノに限らず、いわゆる「音楽一家」だ。でも、一生懸命な親に限らず周囲の姿を見ていれば、おそらく子供も「何か」を感じるんじゃないだろうか。

ただ、もう一つ大切なのは「もしかしたら、この子には違う道があるのでは」と感じたら、無理だと思ったら、道をすぐ変えること。これも受け売りだかが、とても大事なことだと思う。親の努力が足りないのではない。本人のためにも、違う道を選ぶ柔軟性があってもいいのではないだろうか。

サスティナブルなライフスタイル

最近よく聞くサスティナブルとは「持続可能な」という意味です。

温暖化や大雨による災害など、地球が抱える環境問題を解決するために生まれた言葉です。

自分にできることはなんだろう?って考えると意外と難しいことではなく、むしろ楽しいことだったりします。

サスティナブルフラワーを意識して、ちょっとドライフラワーを作ってみたのですが、綺麗な色をだすのは難しいですね。

そのほかサスティナブルについて調べていると、

ちょっと、興味あることがでているサイトを見つけました。

ロスフラワーのことや、障害者雇用についても出ていました。このような考え方を持った会社や団体が増えていくと嬉しいですね。

He is a Superstar.

スターになる人の条件ってなんでしょうか。

スターになれる人ってどんな人でしょうか。

最近ある人のことをいろいろ調べて、この人は本当のスーパースターだなと思う人がいるのですが、まず、スーパースターとはどんな人なのでしょう。

・天性に与えられたものを大事にする(天性は必ずしも、「努力」がいらないとは限らない)

・周囲が天性に気づき見守ってくれる環境にあること(家族だけとは限らない)

・本人はその環境で目一杯に努力できる

・日の光を浴びるまで暗がりを恐れない

・華やかな場所に出ても(脚光を浴びても)決して有頂天になることはしない(つまり、調子に乗らない)

・自分の個性を大切にできる

・どんな時も目の前にある「すべきこと」だけに集中できる、努力できる

・周囲への気配りを大切にする

・ここぞの時に最大限の力が出せる

・真摯であれ

以上、私が考えた10の条件と思うものを書いてみました。

これは華やかな世界にいる人ほど、当てはまることだと思います。

世界をまたにかけ、芸術の分野で活躍するひとりの人のことを考えて書いてみたのですが、意外と各界で活躍する人に当てはまることかもしれません。

でも私が思ったのは、これは「人間」であるすべての人が行うべきことではないでしょうか。

最後の「真摯であれ」は私の個人的な願いでもありました。「真摯であること」ですね。

あと、これも大切なこと。

私は「彼」を想像しながら書いたので、彼になりましたが「彼女」ももちろんあってもいいのです。

特別な人ではなく、少なくともこの10は当てはまっている人、もしくはその他の条件でも構いません。

そんなSuperstarが現れてくれることを楽しみにしたいですね。

そして私はまたハマるんだろうなあ、と思うのです。

「ここぞの時の服」のはなし。

勝負服という言葉が出た時代がありましたよね。私が覚えている限りでは、国会議員がここぞの時に着る服の色が「赤」だったり、「白」だったり。

洋服にまったく無関心、というか興味がない人も多いと思いますが。

私も実は興味はあっても、ほとんど洋服のセンスのない人でした。

そんな私は「洋服」というものは一つの「鎧」という感覚があります。「ここぞの時の服」それと「身を守るための服」です。

やはり、そういったところは「勝負服」と似た感覚があります。

今日は大切な人と会わなくてはならない。大勢の人の前に出なくてはならない。私はそういった時に困らないよう、「鎧」は常に用意しています。

それは「ものがいい服」。その人のワークスタイルなどにもよりますが、多少高くても1着はあるといいと思います。いくさに行く場合はいい服を着るととても気分がいいです。

ただ着飾るだけではつまらないです。TPOをちゃんと考えているか、あと私が一番大切にしているのは、お会いする相手がどのような人かも考えます。

これはとても大事です。自分だけ着飾っってきても、一緒にいる人に気分を害する、もしくは相手の方を恐縮させてしまったら申し訳ないですよね。

相手の方を立てるところはちゃんと立てて、失礼のないような洋服を常に準備しておくと安心です。

だからと言って、たくさんの洋服を用意する必要もないと思います。もののいい洋服だったら、1着でもあれば、何度着てもいいと思います。

そうしょっちゅう、戦いの場はないと思います。笑

仮に「あ、この人また同じ服を着ている」と思われたとしても、「いいもの」とは意外と他人にも分かるものです。戦えます!

少々値のはるお値段でも、気に入っていれば毎回「ここぞの時」に着たとして、じゅうぶん元が取れるのではないでしょうか。

アレキサンダーマックイーンの上下です。

これはイタリア製の洋服でもう10年以上は経っている、たしかなものです。それでもとても気に入っているので、2年ほど前オペラを初めて観に行った際に着た服です。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。

「文章」使用上の注意。

つい最近まで何も考えず、自分の好きなことを好きなように書いていました。

たしかに人に読まれるコンテンツというのはとても大事だと思います。

長ければ、誰も読む気にならない。実際いま書いているこの記事も、一瞬見た途端読む気にもならないのでは、と考えながら書いています。

長い内容に関して言えば、これが私のスタイルと思ってくださると嬉しいです。なぜ長い内容を書いてしまうのでしょうか。自分で言うのもなんですが、こんな人もいるんですね。

なので、この長い文章で読む気にならない方、どうも苦手だと思う方はもしかしたら、相性が悪いので、残念ですが読まないほうがいいのかもしれません。

では、私の書いているコンテンツはあまりいい内容ではなくなってしまうのでしょうか。

自分で言うのもなんですが、そうは思っていません。読んでみたいと思った方に読んでいただければと思います。

このようなことを書けば「ライターは読まれてナンボ」と言われたことがあるので、もちろん読んでくださることはとてもありがたく、ここでまずお礼を申し上げます。

花を見ていると本当に落ち着きます。

私自身ライターとして、ものを書いてきましたが、2,000〜3,000字の短いコンテンツはあまり書いたことがありません。書くことを始めて6年ほどになりますが、全くの素人でした。

ではどんなことを書いてきたのか。それは長編ノンフィクションです。

小学館ノンフィクション大賞や開高健ノンフィクション賞、群像の評論賞です。1,600字を200枚〜300枚(応募要項の記載にあるとおり)など書いてきました。ところがはっきり言って文章なんて、まるでルールを無視して書いていました。「伝わる文章」なんて考えたことなかったのです。

こうして書いている長い文章も、同じことが言えるかもしれません。たとえば、

◉文章はシンプルに。

◉わかりやすい言葉。

最近やっと意識して、書かなければいけないと気づかされたことでした。

文章にも使用上の注意があります。

長い原稿を書いているのだから、文章も長くなって当然と頭のどこかにあったと思います。

それは、ちゃんと知っておくべきことです。ただ書けばいいってものではありません。

このブログは書く練習のために作ったブログですが、いまは結果オーライだと思っています。

なぜなら、気づくことが多いからです。

ご指摘、感想など受け付けております。

ありがとうございました。

作られた右利き

私は子供の頃、左利きだったらしい。 スプ-ンや箸を左手に持って器用に食べていたというのだ。 ただそれを見た祖父母が 「これはいかん!右利きに直さないと駄目だ!!」 強く両親に言ったようだ。 私はその後矯正された。 そして

作られた右利き

まだ、誰かの投稿にコメントやリツイートもしたことありません。ちょっとドキドキ。

私も完全な左利き。こうしてスマホに入力するのも左で打っている。

え、右で書いてるよね…?

そう、子供の頃誰に言われるでもなく「自分で」右で書くようにしてしまったから。

反転文字?を書いていたんです。それが不自由だったのかもしれない。子供心に。

おかげで、「左利きの才能」は芽生えることはなかった。

ただ単に両刀使い、になっただけです。そんな人の脳の使われ方は、どうなっているのでしょうかね。

嫌われる勇気とマイナスからの文章。

私はマイナスから文章を書くスタートだった。

ゼロからのスタートではない。もともと大学は文学部を目指しているわけではなかった。文章の書き方を学んだわけでもない。論文を書いていたわけでもない。

初心者の私には教えていただく師はいたけれど、誰かしらに自分の文章を認められることはなかった。だから自分の文章に残念ながら自信があるわけじゃない。

私はある講座で「ベートーヴェンとカタルシス」という題で文章を書いた。2,000字くらいだったろうか。題名は私が考えた。

まず、カタルシスとはなんぞやとあれこれ調べた。それから、私が好きなベートーヴェン生誕250年について書いていった。

書いたものを提出した結果、返ってきたコメントは散々だった。スムーズに読めない。ということだった。その「スムーズに読めない」の一文の後、けちょんけちょんに言われているようだった。

この女性はどんな経歴の持ち主なのか?大学は?本でも出してるの?なんの実績があるの?まったく略歴のわからない人に、ここまで言われるのは残念でならなかった。

でも…とにかく…褒められた人はいいだろう。また、頑張ろう、次はなんの話を書こうかな、と思わせるのが狙いなのかなと思った。おそらく脱落していった約8割が「いったいなんの講座だったのか?」と思っているに違いない。文章の講座か?内容の提供、コンテンツの提供の仕方か?

今回こんなことを言ってしまって、つまりタイトルの嫌われる勇気を持っていま、疑問に思ったことを書いている。

話は変わるが、その「嫌われる勇気」の共著者の古賀史健さんは「考えるために書きなさい。理解したから書くのではない」と述べているそうだ。「書くことで考えが整理される」と論じている文章術の著者は少なくないという。

だからとにかく毎日たくさん書いて、自分で褒めること。書かないと上達しないから。ということで、多くの方に読んでいただき感謝していますが、またお手隙の際にはこのブログを読んでくださると、とてもありがたく思います。感想もありがたいです。

最後に、「一番好きな文章」を見つけること。「こんな文章書きたい」と心から思える文と出会えるまでたくさん読む。

私が一番好きな文章はいまのところ、開高健の「輝ける闇」の「森は静かだった」の一行で終わっている文章だ。この本を読んだ方にはわかる終わり方で、とても好き。

でも私はまだ本を読まないといけないみたい。名文探しのために。

それにしても、今回は毒を吐いてしまいました。

申し訳ございません!笑

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

午前中が勝負のルーティンワーク。

朝を制すものは、1日を制す

生産性 という言葉を本で多く見たのはいつの頃でしょうか。いま本屋に行くと 思考、思考、思考 が多いです。

もちろん「思考」もいいのですが、私は今でも「生産性」です。

なんだかよくわからないと思うので、上に画像を貼りました。

生産性は、朝が勝負です。

これらは痩せるために朝のルーティンとして使っているものです。(ですが、私の場合心身ともに波がある人間なので、大きな声でルーティンとは言えないのですが)

左の写真。これはとにかく絶好調の時に使って体をほぐしたり、体幹を鍛えたりしているもの。ポールとマッサージローラー、ダンベル。緑のボールは壁と背中にこれを挟んでグリグリすると気持ちいいです。

ポールは腰が痛い時、4、5回ゴロゴロ腰を当てただけで凝った腰の痛みも治ります。

精神的に調子がいい時は、このほかにも開脚クッションで脚を広げたり背筋をストレッチするボードを使っています。私を知っている人は意外かも(意外といろんなもの持っていた。笑)。でも体型がまったく追いついておりません。

これらは、あくまで朝!気分が絶好調な時に使います。

精神的に調子悪い時は、無理にはしません。

なぜかというと、家庭の事情で朝がとっても早いので使える時間はいっぱいあります。朝にこのようなことをすると次にやることがスムーズに、しかも使える時間が充実することによって気分が良くなるのです(ここ私的に大事)。

昔、私も夜型人間でした。でも夜遅い六本木を朝まで連れ回されているうちに、体調を崩しました。どんなに若くても、夜型は決して良くないですね……。といっても、いまだに夜遅くまで起きている時あります。

話戻すと、次に大好きな花を眺めて、さらに気分良くなった後は今日の予定をチェックして(なんだかいっぱしのビジネスマンですね。でも忘れっぽいので)パソコン開いてSNSチェックして、それでもだいたい8時前後です。

とにかく午前中の使い方が勝負です。こんな感じで午前中が過ごせると、生産性もアップします。

言い忘れていました。「早朝、愛犬散歩」です。でもこれからは、朝焼けが気持ちよくなりますね。暑くなるとうちの子大変。フレンチブルドッグなので。

ところで生産性の話。思考と聞いただけで少々苦手意識を持ってしまいます。ロジカルシンキングとか。思考のお話、またblogに書きたいと思います。