集中できない時の対処法。

タバコは吸いません。この写真が気に入ったので載せてみました。

ところで、何もしたくない、集中できない時の対処法は、「何かを片付ける」です。

コロナ禍、そして緊急事態宣言で、おうち時間は増える一方ではないでしょうか。

私は原稿が進まないとき、とにかく片付けをはじめます。整理整頓です。

思いっきりモノを捨てるのもいいと思います。

私が最近やったのは、いらなくなった原稿や古くなった書類を一気に片付けました。

それから、これは結構おすすめだったりするのですが、「古い下着」を片付けることです。男性にもおすすめ。

古くなった下着を一気に捨てます。できることなら新しい下着は買ってもすぐにはおろさずにいることもおすすめのポイントです。

一気に捨てたあと、新しい下着をしまうときの快感(笑)って言ったらないです。

やっぱりこれは、女性ならではですかね。

そうやって、気晴らしできたら、また仕事の再開です。

あと、集中するためにしていることは、机の上には飾っている花しか置かないことです。なるべく机の上はものを置かない。これは気をつけていることです。

私には、これらの方法があっているようなき気がします。皆さんはどうしているのでしょうか。

「学ぶことこそ喜び」。

作品64−1 「子犬のワルツ」LANG LANG

「子犬のワルツ」は、高校生の頃弾いていた曲です。大人になってもずっと弾いていたい曲。

「学ぶことこそ喜び」

いま、とても好きな言葉。

執筆中の原稿にもこれを書いているくらい好き。

いくつになっても学ぶことを諦めない生き方はとても素敵。

人生100年時代とはいうけれど、体が動く限り、頭が働く限り、学んでいたい。

私の願いは、「幾つになっても、学んでいたい」ということ。もちろん、それはいわゆる資格を取ったり、机にへばりついて勉強数ことでなくて、

「知識や経験」を大切にしたいということ。

どなたかすきなご婦人を見たときに、自分が真似できることはないかと研究したいのです。何かにこだわることも大切なことかもしれない。

目まぐるしく変わる世の中で、常に自分をバージョンアップ、つまり学びをあきらめない自分であることが必要になってくる。

しかも、学びとは、いやいややるものではなく、ワクワクさせてくれることを自ら選ぶこと。

そう考えると、「何か始めてみようかなあ」と思ってきませんか??

今回の記事は短いけれど、とても大切なことを書いたつもりです。

ちなみに、プロフィールを少し変えたのですが、そこにも書いておきました。よろしければご覧ください。

ピンクが可愛い





日々の生活をアートしたい。

近頃生活リズムがおかしい。

気分が滅入っているからかどうかわからないが、ほぼ1日眠いし、昨日なんて約束が入っていたのに、すっぽかしてしまった。

とにかく気分の波のせいか思い込みが激しい。

夕ご飯が終わると、もう眠くなる。パソコン眺めていると眠くなる。

少し休んでまた再開しようと思って横になると、もう起きることはない。

かといって、朝は4時に起きることになっているのだが、目が覚めるのは3時前。

もうこの時間だと4時まで起きる。

愛犬も朝は早い。そもそも犬は、夜はほとんど寝ていないらしい。たしか身を守るためだか、群れで行動するからいつでも動けるようにしているためとか。

だからと言って、私は昼間寝ているわけではない。ウトウトはたまにするけど。

やることいっぱいあって、何から手をつけていいか、焦る。

焦ると余計に無駄な時間が過ぎていく。集中できない。

一つのこと始めると、「あれやらなきゃ。忘れないうちにやっておこ」と言って始める。

きっと仕事できない人の典型かもしれない。

昨晩は、一度お会いして一作目の作品を読んでくださったある出版社の編集者さんに、2年ぶりだろうかメールをしてみた。

どうか返事が返ってきますように。

もしお会いしていただけるのなら、原稿もある程度調整しなければならないし、企画書もいいものを見ていただきたい。

だから、企画書を作り出した。

が、意外といい言葉が浮かんでこない。そこでまた私は慌ててアマゾンで本を買った。

とにかく、最高のものを作りたい。

バタバタしているけど、最近落合陽一さんのnoteを定期購読することにした。こういう人の日々頭の中は何を考えているのか、とか、一眼レフでアート写真を撮っているから興味が湧く。

けど、何一つ参考にならない。つまらないとかではなく「参考にならない」のだ。考えている次元が違うのだろうか。でも、なんてことない日常が読んでて、見ていて、おもしろいから購読は成功だと思う。

セルフアートもしてみたい。

なんにもしなくていいのなら、グラフィック系勉強したい。

今年の傾向はミニスカートを履かない。

実は私、ミニスカートやミニのワンピースが好きだ。

たとえばこんな服が、好きだったりする。

今あまり、ミニスカートは売れないようだ。つまり今のファッションの傾向は、ミニスカートではないということ。確かにミニスカートを履いている女性はあまり見かけない。ファッションサイトなどを見てもあまり出ていない。もちろん好みの問題だが、ミモレ丈(膝下からロングの間の丈のことだけれど、今言うのかな)やロング、短くても膝下の丈だと思う。

というのも、最近うちのパンパンになったクローゼットに、さらに入りきれない洋服たちを整理し、ブランド服買取屋さんに持って行っている。

そこのお店の人に言われる「こんなに幅広いブランドの服をどちらで購入されているのですか?」ちょっと言葉に詰まったが「ネットで購入しています」と言った。

ネットと言っても、海外のサイトである。そこで、なるべく底値を見計らって買う。

たしかに一流のブランド服が魅力的な値段で売られているのを見ればテンションも上がる。

海外のサイトより。こういったミニスカートは売れないので買い取ってくれない

でも、私が海外のネットショップで買う1番の理由は、「サイズ」にあった。

日本のデパートやセレクトショップなどに私に合うサイズが売っていないという悲しい現実がある。

その点、海外にはさまざまなサイズが豊富に揃えられている。

これが利用する私の最大の理由なのだ。

しかも気に入らなければ、返品にも応じてくれるし、その際の対応は素早いし、たとえ海外でも安心。

早くて、サイズもピッタリ、デザインが素敵で、セールでのお値段はデパートで買うより安い。

ところが実際着なかったミニ丈のワンピースを、買取屋に持っていっても二束三文だった。

理由を聞くと、「今ミニスカートって売れないんですよね。長かったらよかったんですけど」と言われてしまった。

たしかに街を見渡せば、お店はロングスカートを履いたマネキンがディスプレイされてるし、歩いている若い子たちも、長いロングまたは膝下のスカートを履いている。

でも私は心に誓っていることがある。それは、歳をとってもミニや膝丈スカートを履くこと。

こうなったら私は着てみせる!!

将来ちょっとした楽しみでもあり、夢でもあることがある。

昔私は歳を取ってもハイヒールを履きたいと思っていたが、足を負傷してしまったので、この夢は実現できるかわからないけど、スカートを履いていれば、もしかしたら、ハイヒールも履けるかもしれない。

歳とることも楽しみだったりする。

女の生きる道。

私が学生の頃、秘書科に在籍していて卒論みたいなものに「女性の生き方」だったかな、確かそれについて書いた記憶があった。

私は当時、森瑤子さんのエッセイや小説が好きで、それを元に女の生き方を書いたと思う。そんなかっこいい大人の人生を憧れていた。

20代で結婚、私には子供がなく、それがつらかった時期もあった。子供が欲しいと真剣に考えた事はあるが、その頃から私は精神的に不安定になっていった。

自分のことで精一杯になっていき、子供のことなど考えられなくなってしまっていた。それが20代半ばから後半くらいの話だ。

それからというもの、私はだんだんと外側に救いを求めるようになっていった。30代に入ってからだった。

このような話をするといろいろ誤解されるのを覚悟だが、私は常に誰かを好き、もしくは大切な人として心に存在させていった。

ひとりの人しか愛せない、とかそのようなことはなく、その人の良さ、を大切にしていた。私はいつもそんなことを考える、女という前にひとりの人間になっていた。

私にとって30代とは、苦しかったけれども、私の人生のなかでなくてはならない重要な年月になった。

まず生きるためにお金を作ることから始め、過労のために生きるか死ぬかの瀬戸際まで行ったことがあったり、何週間も病院で点滴を打ち寝たきりになる辛さはもう懲り懲りだった。

だから私は「コロナが恐怖」というのはある。あの苦しみは味わったことのある人にしかわからない。

でも何より怖かったのは「孤独」だった。孤独であることは本当につらかった。

カーネーション。そういえば母の日だ

重い話になってきたので、30代の大体の話はこの辺にしておくが、私にとっては、決して後悔していないのがこの30代だったかもしれない。

でも、またピアノの話になるが、この頃にピアノをまた再開しておけばよかった、と今になって思うことは多々ある。

そんな30代が過ぎ、40代前半は家族と楽しく過ごす時間が過ぎていった。楽しかった。父親との確執があった私は、父が認知症になり、私を頼りにするようになった父を見て、父への思いは完全に変わっていった。

40代はあっという間のような気がする。私の病気を治すため、日々通った病院。自分を取り戻して行くかのようだった。

今現在、私はやりたいことがいっぱいでき、ある意味充実した日々を送っている。人生はまだまだこれからだ。40代の今、できることをしてこれからの人生の準備をしていきたい。

でも、結局私は森瑤子さんのような、格好いい生き方はできなかったなあとづくづく思うのだった。

その不安、本物ですか?思い込みというフィルター。

人は不安になると、物事にフィルターがかけられます。

ものごとに対して、直視したくない、もしくは「思い込み」というフィルターがかけられてしまうのです。

私もつい最近、それをやってしまったのですが、一応ものを書いている身分として、文章のやりとりは気を配っているつもりですが、自分の気分が悪いときに相手から私宛の文章を見たのですね。

その時見た文章は、「明らかに私を攻撃している」と思い込んでしまったのです。そんな文章「見たくない!」と思い込んで、完全にその文章にフィルターをかけてしまったのです。「相手は私のことを悪く思っている」とフィルターをかけてしまっていたのです。

カーネーションの写真にモノクロのフィルターをかけました

でも、見たくないと思っていた文章に向き合わなきゃと思い、私はそっと読み直してみたのです。

なんと、その文章は私が原稿に書いた一文だったのです。ちゃんと読みもしないで、気分が悪いからと、相手がひどいことを言ってきただなんて、八つ当たりもいいところですよね。

私は、自分の嫌な感情で「大切な文章」にフィルターをかけていたのでした。

そして自分も余計な神経を使ってしまいました。ひどい話です。笑

反省です。

でもこのように、自分の気分が安定していない時は、相手の言動が悪く見えてしまう、もしくは攻撃されているかのように感じてしまうこともあるかもしれません。

常に冷静な対応ができればいいのですが。

思い込みもほどほどに。人を信じることはとても大切なことだなと思ったのでした。

気がつけば、LangLang。山から降りてきた私。

アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22 Lang Lang

この曲もとても素敵。私は反田恭平さんのリサイタルのアンコールでこの曲を聴いた。やはりとても素敵だったのを覚えている。またまたLang Langですが(好きなのですみません)、

「Lang Langと言えば有名なピアニスト」

というのは、実は今年に入り知ったこと。

クラシックが好きな人ならおそらく誰でも知っているということを知ったのも最近で、私は愕然とした。

SNSでも、ブログでも、「ランランは有名だから」と言っている。私は、彼が日本にも何度も来ていることも知らなかったし。それはそうだろう、ランラン自体知らなかったのだから。

なんだか、私、山から降りてきた人みたいだ。

彼が日本を訪れたりして、日本のドラマの関係などで盛り上がっていた頃、私は一体何をしていたのだろう、と考える。山にいたのだろうか??

もっと早く知っていればな、と思った。

でもそういえば、記憶を辿ってみれば、真相は分かった。

クラシックという音楽でさえ、遠い世界の全く違う場所にいた。

もう素晴らしい!

いっそのこと、Lang Lang に恋をしてとか、タイトル変えちゃおうかな。

いつの間にか変わっているかも。

でも残念だが、時々登場させるくらいで我慢しておくことにする。

他にも書きたいことあるから。

彼の何が魅了するのか、さらに追及していきたい。

いまなぜ私はLang Langなのか。

彼がいま、ヒーロー的な存在から、一つ落ち着いてピアニストとしての独自の経験や感覚がさらに研ぎ澄まされてきている時期ではないか。それがゴルトベルク変奏曲だったりする。そんな彼を、私は今知ることができて嬉しい。

いまこそ確立された「ピアニストLangLang」を世界のランランから伝説のランランになって欲しいと思う。

Lang Langの素敵なアルバムはいっぱいあるけれど、

ランランを知らなかった私が初めて買ったCD『LANG LANG PIANO BOOK』は画期的な一枚だと思う。子供の頃弾いた曲、聴いたことのある曲が流れるような曲として、彼みたいな名プレイヤーが弾けばまた心に染みるし、また弾いてみたいなと思わせられる。そうやって慣れ親しむこともできる。

これは唯一無二なのではないだろうか。

LANG LANG ”PIANO BOOK ”

彼のCDジャケットはどれも素敵だと思う。プロデューサーがいいのだろう。(ピアニストらしくないジャケットがいい。あくまでファンだからそう思う)

彼のファンの方がいたら、とにかく嬉しい。

確立されたLangLangがこれから、どのような「伝説のピアニスト」になっていくのか楽しみでならない。

落ち込むことで得ること。

落ち込むことって、どんな方にもあるかと思います。

私はしょっちゅうなので、本当のことを言えば、「落ち込んだ時の対処法」は私が教えて欲しいと思うくらいなのです。

周囲もわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。アピールする必要もないのですが。

たとえば、私の場合一度落ち込むと、今度は上がるしかないのですが、この「上がる」が注意で、とんでもないくらいに上がってしまうのです。上がれば急激に下がる。なのでほどほどが必要になります。

私の例で申し訳ないのですが、

私はピアノが好きなので、と言っても現在どれだけ弾けるわけでもなく、大人になってからブランクを埋めるため、もっぱら簡単な曲を苦戦して弾いています。

大人になってからピアノに親しむために、もちろん弾けることに越したことはないのですが、ちょっと違う角度からピアノを見てみようと思いました。

そこで、私が思いついたのはやはり文章を書く事でしたので、まず本を読み、ピアノに関しての研究を少ししてみようかなという事でした。

さっそく銀座にある山野楽器(楽譜や楽器、そして音楽にまつわる本も豊富にあります)へ行き、本をまとめて数冊書いました。

曲または楽譜にとらわれる事なく、違う角度から何かを見ることは新鮮だし、新しいことを知るのはワクワクします。

ということで、この「好き」がとても大事になってくると思います。

常日頃「好き」を増やしておくのもいいかもしれません。

私が最近気づいたのは、

落ち込むことは「何かの起爆剤になる」

ということです。そこから、また新たな何かを発見し、始められるかもしれません。

これは私の例でピアノについて書きましたが、どんなことにも当てはまりそうな気がします。

常に新しいことに挑戦してみることって、いくつになっても自分を成長させてくれるとても楽しいことかもしれないし、落ち込んでも、

「自分はまだまだやれる」

と気づかせてくれるんですよね。

おこがましいですが、少しでも誰かの気持ちが晴れれば嬉しいです。

How are you spending your time at home in May?~5月ですね、どうお過ごしですか〜

“La campanella” ラ・カンパネラ LANG LANG

5月はこの曲を選んでみました。多くのピアニストが独自の演奏で聴く人を魅了する曲です。おそらく耳にしたことのある曲だと思います。宜しければぜひ聴いてみてください。

今日から5月ですね。清々しい気候はいつまででしょうか。

私事ですが5月1日で投稿数が60となりました。

区切りのいいときに5月が迎えられて、よかった。

3月ごろから本腰を入れるようにして、4月はかなりブログへの時間を作りました。

おかげさまで多くの方に見ていただけて嬉しく思っています。

それまで2回しか更新しなかった月もあり、おそらくより多くの文章が書けるようになってきたのは、精神的にも安定した時間を過ごすことが多くなったからだと思います。

さて、5月といえば何でしょうか。

立春から数えて88日目を「八十八夜」と言うのですが、今年2021年は今日、5月1日(土)が「八十八夜」にあたるそうです。

‘夏も近い八十八夜〜♪’と歌われますから、春から夏に向けて移り変わる時期ですね。

ちなみに、5月の満月は26日だそうです。

5月も見れるといいですね。

昨日投稿したブログですが、お伝えできる情報を考えつつ、より新しいものへと常にアップデートしたいと、考えております!

ステイホームの日が続いておりますが、そんな中、楽しんでいることとは何でしょうか。

私はもっぱらピアニストLang Langの曲を聴きながら、まったり本を読んだり、原稿書きはもちろんのこと、花を生けたり、眺めたりして、パンパンのクローゼットの整理と、それなりに充実した日々を送っています。

もともと、ひとりで原稿書いたりしているので、ひとりの時間はさほど苦にはなりなせん。

読みたい本も買い込んでいたので、結構楽しめています。

こちらを読んでくださったかたが、どのように過ごされているか、教えてくださると嬉しいです。

はやく今の現状から抜け出し、また、新しい時代に、慣れていけますように。

古くなった書類等は、片付けました。

視覚に訴えるもの。必要なもの。

たとえばSNSやブログでもいいのですが、写真を多くアップしている人というのは、自分も人の写真の投稿が好き、な人が多いのではないでしょうか。あくまで、自分がSNSを通して思ったことですが。

Photo by Thirdman on Pexels.com

たとえば、男性が女性のセルフィーや綺麗に着飾ったキラキラな女性の写真を見ることが好きであることと同じように、そのような人は自分の写真もSNSに投稿している人を見るんですよね。男性も女性も。

私のように、文章を書く者にとっては、ブログは最適ですがやはりSNSの発信も大事だと考えると、文章より視覚に訴えるものの方が、自分も見ていて楽しい。ということは人もそうかもしれないと考えます。

ということで、できることなら写真での投稿を増やしていきたいなと最近思いました。

ましてや、どこにいても仕事ができる人にとって、他人にはどこにいるのかわからないような人間なのだから、周りのモノやコトをアピールしてもいいのかもしれませんね。