文章を書いていると、しんどい。生きることと同じかも。

ブログをこのままここに書くか、noteに移すか非常に迷っている。ちなみに、noteはペンネームで書いているのだが、テーマがまったく違うので、とりあえずブログとしての内容はこちらに書いている。

最近、何でもないことが上手く書けずにいる。要は、文章を書くことがしんどくなっているのだ。と言っても「テーマ」が決まっていれば書くことはできるけれど、日常的なことを書こうとすると、しんどくなってくる。

人は「目標」や「目的」が見つかると、そこに向かって行動できるのかもしれないが、なんてことのない日々の生活って、しんどさを感じたりしないだろうか。

一点に集中することって邪念が入らないから、たとえしんどさを感じても、スムーズにことが運ぶ。

でも、なんてことない日々が続くと、しんどくなってくるのは私だけ?

ただいま、まさにそんな中にいる。

けれどだ。ずっとこんなことが続く訳ではない。なんてことないいまは、一旦大きな仕事を終え、途方に暮れているのであって、やがて、また山は登らなければいけない日々がくる。

なんて、結局いまの自分には、こんなことしか書けない。

時がたてば、この先やらなければいけないことが見えてくるだろう。それまで、私はじっとして、誰にも告げることなく、次にやってくる現実に向き合わなければならないのだ。

その時は嫌でも前に進まなければいけない。

どうなるんだろ、私。

結果は嫌でもわかる日がくる。

頑張ろ!

ワガママに生きる。

ある雑誌を見て考えた。人生ももう後半に入っている。もう、「わがまま」に生きていいんじゃないか。わがままと言っても好き勝手、言いたいことを言って人を困らせるわけではない。

最近の私でいえば、ある人を大切に思ってきたけれど、思いは伝わらなかった。今となってはもう「意識」から消し去りたい過去。というか、伝わらないものだと考えればいいのかもしれない。そんなもんだ。

まあ、こういうこともあるよね。相手と自分の温度差がまったく違っていたということ。

けどね、いい大人がさ、「お互い様」じゃない?って思った。うわべでいい人のように近づいてきて、いらなくなったら「はい、さようなら」って。そりゃないよね…

まあいいか。もう二度と会うこともない人。

もう考えるのやーめた。私には次がある。過去に執着はもうしない。

すでに次の楽しみはある。それだけ考えようと思う。

うわ、結局愚痴だ。でも、たまには毒吐いてもいいでしょ??少し毒吐いて、きれいな空気を入れようと思う。

グリーフを抱えた人に寄り添う。

「グリーフケア」をご存知だろうか。グリーフとは悲嘆や喪失をいう。つまり大切な人を失い悲嘆や喪失を抱えた人に寄り添い自立できるようサポートするケア。

私はこのグリーフケアについて全く知らなくって、インスタグラムで昨日真っ先に見た投稿が「グリーフケアを2年間学び臨床傾聴士になった」という女性の投稿だった。心に刺さるものがあったので、すぐに「グリーフケア」をGoogle検索して、どういうものなのか調べてみた。

とても深かった。私は先日我が子のように可愛がった愛犬を亡くし、虚無を感じることが度々あったので、なんだかしめし合わせのような気もした。グリーフケアには人間だけでなく、ペットロスも含まれるとあった。ただ人の心のケアほど難しいことはないことを重々わかっている。私も躁鬱がひどかった頃、夫をはじめ主治医や周囲にどれだけ助けられたか。

私も誰かのサポートができたらなどと考えているが安易なことかもしれない。でも最近思っていたことは、傾聴が本当に大切なことだということ。

臨床傾聴士はただただ傾聴していればいいわけではない。自立までサポートすることは本当に容易なことではないはず。私が調べたグリーフケア養成講座には宗教や思想、文化など専門的なことも学ぶとあった。大学の講義のようだ(実際、ある大学の研究所です)。それだけに生半可な気持ちで受講なんかできないし、講義を受けるためには自己紹介文や小論文の提出もあるという。グリーフケアは他人と向き合うことはもちろんだが、自分と深く向き合うことがまず大事だと思った。

いずれにしても、私はまだまだ人としてどこか成長が止まっているような人間なので、その中途半端さをクリアにさせたい。いずれ、このグリーフケアができるような深い人間になれたらいいなあと心から願う今日この頃。

日々勉強だー。机に向かうことばかりが勉強じゃない。どうあるべきか。どうありたいか。楽しくね。

久しぶりの休日の隠れ家

かなりお久しぶり。

いつの間にか個人事業主となり、二足の草鞋を履いている。小売業と執筆業。

個人事業主とはいうものの、二足の草鞋とはいうものの、とくだん目まぐるしさはない。なんて言うと、人はそれでいいのか!?と思うだろう。でもこれだけはきっちり終えた。

「確定申告」。

ま、さておき、こんな暢気なことではいけないと、事業主としてさらなる成長を望んでいる。執筆もストップしていたが、こちらも本格的に再スタートさせた。どちらかに偏りがちな「仕事」も、できることなら器用にこなしていきたい。

ブログも「書くこと」をあらためて始めたので、できる限り書いていきたい。

少しは有益なこと書きたいな。

そうだ!二刀流を目指そう。時代の波にのっている大谷翔平だ。あやかって成功させようではないか。

やればできる。努力なしに手に入れたときの幸福感は味わえないだろう。時には流されることも必要。執着を手放すことも必要。

動かなきゃ、動かせない。世の中も未来も運命も。

自己主張しない人

自己主張しない人、と聞いてどんなイメージをその人に抱きますか?

おとなしい人ですか?

人の輪のなかに入ることのできない人ですか?

自分の思想がない人でしょうか?

どれも私は違うと感じています。

私はとても素敵だなと思っている女性がいます。あえて年齢は伏せます(年齢に関して固定観念を持つ方もいると思うので)。

その女性は、グループの中心的存在です。

ですが、自己主張は決してしません。もちろん人を責めたり、噂話なんて持ってのほか。でもその女性の周りにはたくさんの素敵な人が集まってくるのです。

何も話さないわけではありません。「世の中をこうしよう、こう生きよう!という息の詰まる話はしません。私が話すことは、あくまでも私の経験でしかありません」そう言うのです。

そして謙虚な心=感謝であるとその女性は言っています。

私は正直、謙虚という言葉が素直に馴染めなかったので感謝の気持ちが持てずにいました。ですが、いまは私の周りには感謝すべき人がたくさんいます。

以前私のコーチングをしてくれた男性が言っていました。他人から「ありがとう」って何度も言われることが、こんなに嬉しいと思ったことはなかった、と。

「ありがとう」という言葉には不思議なちからがあります。

自己主張せずとも、わかる人にはその人の良さはわかるし、自己主張しない人のふと口から出る言葉には重みがあります。

または、口より行動でもあります。そんな謙虚な人間に私はなりたいと思います。

真夜中の明るい空

今週は精神的に参った参った。ここ1、2年割と順調にきていたから、久しぶりのどん底だった。

30代に1人で暮らしていた時、私を襲った孤独。初めて死がよぎった。このままひっそり都会の真ん中で消えていくんじゃないかって。同い年のタレントが亡くなったとラジオで知った私は恐怖でたまらなかった。

性を売る世界に恐怖はなかったけど、気づけば周りは私を搾取する人たちばかりだった。疲れ切っていた。でもなぜか、良かれと思ってやってきたことが、ただただ利用されていたのかもしれないと感じても、虚しさどころか、逆に自信となる自分がいた。

私は「やったのだ」。大阪に通い大金を稼ぎ、私はやりたいことを「やってのけた」のだ。端金かもしれないけれど。

孤独になると、思い出す。不夜城の真夜中の明るい空を窓から涙を流しながら眺めていたことを。

なくて七癖

七癖、を考えてみた。

一 笑ってごまかす。

これすぐに思い付く私の癖。ついつい笑ってごまかす。いったい一日に何回やっているんだろう。笑

ニ 恥ずかしい〜と思うと、頭を掻く。

心の中で、しまった〜と思うとやってしまう。べつに頭なんかかゆくないのに。

三 緊張すると左の頬の上が痙攣する。

これって癖なのだろうか……

四 こう見えて(どう見えて?)笑い上戸。

くだらないことに反応すると「馬鹿ウケ」してしまう。

五 口の中をかむ。

あるあるの癖……

六 自分の世界に入りやすい。

これも癖なのかな?

七 ○○っぽい

これは致命的な癖かも。いずれこれに関しては書きます。

それにしても、けっこう七つも癖を見つけるのって簡単そうで大変だった。今回は(も?)このような内容で申し訳ないです……

上目指し、お互い頑張ろう

「上目指し、お互い頑張ろう」

そのひと言で、やってきている。

「お互い次のステージに進んでる」

そうなんだ。私たち道は別々でも、進んでいる。会うことも(プライベートでなく)連絡を取ることもなかなか出来ないけれど、一生懸命に前を向いて進んでいたのなら、どこかで接点がまたかならずあるはず。

でも、それは確かではない。

私たちの未来はどうなるのかなんて、誰にもわからなくて。

ただ一つ。道は違っていても、お互いの存在が励みになっていることを信じていたい。

お互いの現在(いま)を時には確認し合いながら。

私はかならず支えになることを約束する。

「必要ない」と、言われるかな。笑

本当に人を好きになると……。

思いやる余裕がなくなる。

優しくなれない。

どうしてどうしてと責める気持ちしかなくなる。

素直になれない。

可愛げなくてごめんね。

でも

ただ一つ、その人が嘘をつくような人ではないこと、真っ直ぐな人であることを心から信じると伝えたい。

そんなことを考えてみた雨の車ミラー越し

「たくさん苦しんで成長してほしい」。

最近嬉しいことがあった。どん底に落ちていた私を救ってくれたのは、私の何もかもを知っているコーチングをしてくれていたコーチだった。

私の大切な共通の友人に「たくさん苦しんで成長してほしい。自分も苦しんでいる」そう話していたという。

彼はもうコーチングの仕事はしていない。3月から公務員として働いている。そしていま、友人の選挙活動の応援をしているらしい。

私は忙しい彼とは何も連絡する手段がないので話すことができなくて、なかなかビジネスのチャンスが掴めなくもどかしく辛い1ヶ月を過ごしていた。

彼とは会うことも話すこともできずに、毎日苦しかった。コーチであった彼は私にたくさんのことを教えてくれた。なのに、私はそのうちのどのくらいを覚えているというのだろう。


私は「たくさん苦しんで成長してほしい。自分も苦しんでいる」という言葉を知って泣いた。


彼は私を忘れていなかった。こんなに幸せを感じたのは久しぶりだった。

彼がコーチでいてくれて、私の未来は変わっていくような気がしている。

常に次のステージへと進んでいく彼に、私も応援したいし、遠くからでも守ってあげたい。

そして何より、ビジネスで成功させること、ライターとの両立をさせることが、彼が1番喜ぶことだ。

そして、また出会えることを願っている。