カミングアウトは必要なことか。
昔、私はSNSで過去をカミングアウトしたことがある。まあ大したことはなかった。驚く人は驚いただろうし、そうだったんだあとその程度だった人はいるだろうし。これと言った反響はなかった。
だがカミングアウトすることで、救われる人もいれば、迷惑を被る人もいるだろう。だから、そう易々と公然の場で言うわけにはいかない。
ある人から言われたことがある。「それ(原稿)を世の中に出したとして、迷惑がかかる人がいるんですよ!」
その言葉が胸を刺した。確かにその通りだからだ。
だけど、私はその時を一生懸命生きたし、「自分の力で生きる」と言うことがこんなにも幸せなんだと思ったことは、生きてきた中で心から思ったことはなかった。
悲惨なことは多かった。でもその悲惨さも超える幸せをも味わった。
つらい孤独も味わった。
そんな私の30代は一番「生きた感」の強い時として心に残っている。
でもそれ以上に信念を持って50代以降を私は生きたい。
そのために、カミングアウトをいずれしなければならない時が来るだろう。
時効になるのか、最後まで記憶として残るのか、誰かを傷つけてしまうのか、墓場まで持っていくのか、私にはわからない。
でも、胸を張って言えること。生きた証として、自信を持って伝えたい。
私は、いい加減に生きたわけでもないし、欲のために生きたわけでもない。いやわからない。あの頃は欲の塊だったかもしれない。
心から伝えれば、わかってもらえると信じている。
カミングアウトは決して恥ずべきことではない。必要なことのような気もする。
「カミングアウト」に関して言えば、いくらでも社会的なことは言えるのかもしれないが、ここでは個人的なことのみ書いた。
