女の生きる道。

私が学生の頃、秘書科に在籍していて卒論みたいなものに「女性の生き方」だったかな、確かそれについて書いた記憶があった。

私は当時、森瑤子さんのエッセイや小説が好きで、それを元に女の生き方を書いたと思う。そんなかっこいい大人の人生を憧れていた。

20代で結婚、私には子供がなく、それがつらかった時期もあった。子供が欲しいと真剣に考えた事はあるが、その頃から私は精神的に不安定になっていった。

自分のことで精一杯になっていき、子供のことなど考えられなくなってしまっていた。それが20代半ばから後半くらいの話だ。

それからというもの、私はだんだんと外側に救いを求めるようになっていった。30代に入ってからだった。

このような話をするといろいろ誤解されるのを覚悟だが、私は常に誰かを好き、もしくは大切な人として心に存在させていった。

ひとりの人しか愛せない、とかそのようなことはなく、その人の良さ、を大切にしていた。私はいつもそんなことを考える、女という前にひとりの人間になっていた。

私にとって30代とは、苦しかったけれども、私の人生のなかでなくてはならない重要な年月になった。

まず生きるためにお金を作ることから始め、過労のために生きるか死ぬかの瀬戸際まで行ったことがあったり、何週間も病院で点滴を打ち寝たきりになる辛さはもう懲り懲りだった。

だから私は「コロナが恐怖」というのはある。あの苦しみは味わったことのある人にしかわからない。

でも何より怖かったのは「孤独」だった。孤独であることは本当につらかった。

カーネーション。そういえば母の日だ

重い話になってきたので、30代の大体の話はこの辺にしておくが、私にとっては、決して後悔していないのがこの30代だったかもしれない。

でも、またピアノの話になるが、この頃にピアノをまた再開しておけばよかった、と今になって思うことは多々ある。

そんな30代が過ぎ、40代前半は家族と楽しく過ごす時間が過ぎていった。楽しかった。父親との確執があった私は、父が認知症になり、私を頼りにするようになった父を見て、父への思いは完全に変わっていった。

40代はあっという間のような気がする。私の病気を治すため、日々通った病院。自分を取り戻して行くかのようだった。

今現在、私はやりたいことがいっぱいでき、ある意味充実した日々を送っている。人生はまだまだこれからだ。40代の今、できることをしてこれからの人生の準備をしていきたい。

でも、結局私は森瑤子さんのような、格好いい生き方はできなかったなあとづくづく思うのだった。

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