嫌われる勇気とマイナスからの文章。

私はマイナスから文章を書くスタートだった。

ゼロからのスタートではない。もともと大学は文学部を目指しているわけではなかった。文章の書き方を学んだわけでもない。論文を書いていたわけでもない。

初心者の私には教えていただく師はいたけれど、誰かしらに自分の文章を認められることはなかった。だから自分の文章に残念ながら自信があるわけじゃない。

私はある講座で「ベートーヴェンとカタルシス」という題で文章を書いた。2,000字くらいだったろうか。題名は私が考えた。

まず、カタルシスとはなんぞやとあれこれ調べた。それから、私が好きなベートーヴェン生誕250年について書いていった。

書いたものを提出した結果、返ってきたコメントは散々だった。スムーズに読めない。ということだった。その「スムーズに読めない」の一文の後、けちょんけちょんに言われているようだった。

この女性はどんな経歴の持ち主なのか?大学は?本でも出してるの?なんの実績があるの?まったく略歴のわからない人に、ここまで言われるのは残念でならなかった。

でも…とにかく…褒められた人はいいだろう。また、頑張ろう、次はなんの話を書こうかな、と思わせるのが狙いなのかなと思った。おそらく脱落していった約8割が「いったいなんの講座だったのか?」と思っているに違いない。文章の講座か?内容の提供、コンテンツの提供の仕方か?

今回こんなことを言ってしまって、つまりタイトルの嫌われる勇気を持っていま、疑問に思ったことを書いている。

話は変わるが、その「嫌われる勇気」の共著者の古賀史健さんは「考えるために書きなさい。理解したから書くのではない」と述べているそうだ。「書くことで考えが整理される」と論じている文章術の著者は少なくないという。

だからとにかく毎日たくさん書いて、自分で褒めること。書かないと上達しないから。ということで、多くの方に読んでいただき感謝していますが、またお手隙の際にはこのブログを読んでくださると、とてもありがたく思います。感想もありがたいです。

最後に、「一番好きな文章」を見つけること。「こんな文章書きたい」と心から思える文と出会えるまでたくさん読む。

私が一番好きな文章はいまのところ、開高健の「輝ける闇」の「森は静かだった」の一行で終わっている文章だ。この本を読んだ方にはわかる終わり方で、とても好き。

でも私はまだ本を読まないといけないみたい。名文探しのために。

それにしても、今回は毒を吐いてしまいました。

申し訳ございません!笑

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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